【ピープル】伊勢崎市内外の各分野で活躍する、市民を紹介します。各種団体のトップに、業界の現状と今後を聞き、まちづくりに取り組む市民も取り上げます。情報はinfo@press-isesaki.com
 会員は週1回のモーニングセミナーを中心に、その他各種講演会や研修、日々の交流と実践を通して倫理経営を学んでいる。横浜へ1泊出張の際に、商談先の経営者から何気なく誘われ、そこの法人会会長が講師のモーニングセミナーに参加した。経済的困窮や離婚から会社立ち直りまで、あらゆる苦悩を包み隠さず語る講話に衝撃を受けた。伊勢崎に帰ってすぐに入会した。

 2020年7月入会以降、異業種の経営者の講話を聴くことを楽しみに、毎回欠かさずにモーニングセミナーに参加している。学び続けながら、これまでの自分の歩みや生き方を自分なりに重ねてきた。倫理がその解釈の裏付けとなって「自信や確信に繋がった」と振り返る。加えて組織としての強み「人脈の広がり」を入会後の具体的なメリットとして強調する。

 会の名称から敷居が高いと思われがちだが「楽しみ方は人それぞれ。自分が楽しいと思ったことを感じて欲しい」と参加意義を単純明快に訴える。そうした空気を醸し、まず既存の会員に満足してもらうことを優先すれば「人は自然に集まる」と、会員拡大宣言を封印。組織のリーダーとしては異例だが、自分が良かれと判断したことへの批判は恐れず、時に内外で「会の異端児」と呼ばれることも甘んじて受け入れている。

 長年取り組んできた災害発生時に生命を守る多目的防災シェルター「AEGIS/イージス」。阪神・淡路大震災以降、「自分に何かできることは」と考え続け、これまでの設計・試作・開発、板金加工・溶接などの全スキルを投入して昨年、やっと商品化にこぎつけた。代理店として米国製輸入核シェルターも扱い、ソーラーパネルバッテリーなど、防災関連商品の充実を図っている。総合的な提案ができる体制構築が今後の課題だ。

 毎週開催のモーニングセミナー出席を続けているためか朝型人間に。毎晩9時から10時には就寝し、翌朝4時には起きる。コーヒーを飲みながら約1時間半、思索にふけり、前日までに気になったことをネット検索。6時には出社してメールをチェックしている。禁煙、禁酒も断行中。通院禁煙はこれまで2度失敗し、新たなクリニックで3度目に挑戦している。後から気づいた受付脇の会員企業の証、会報の「職場の教養」。巡り合わせは続いている(廣瀬昭夫)
 昨年11月30日放映のテレビ東京「Youは何しに日本へ?」。番組スタッフが、日光を観光中のロシア人と行き会い、アポなし取材で三日月ホテルを訪れた。25年ほど前にショーのステージメンバーとして半年間滞在し、あいまいな記憶を頼りに辿り着いたロシア人。ホテル内でも当時を知る人もなく、菊池さんもすぐには思い出せなかったほど。ホテルマン生活の中でも「印象に残るエピソード」として、懐かしそうに語る。

 全259室、1000人収容のホテルは、東武線鬼怒川駅から徒歩3分の温泉街の玄関口に威容を誇る。“北関東最大級のリゾートスパ”として屋上大プール、階下に一周100メートルの温泉プールなど各種スパ施設を併設。耐震化に伴う改装で、玄関ロビーから続くテラスには、渓谷を見下ろすインフィ二ティプール(縁なしに見える)を昨夏新設している。資金繰りにあえぎ、老朽設備のままで凌いだ、前身のホテル時代の苦労も振り返るが「コロナ禍の現在が最も苦しい」と訴える。

 GOTOトラベル事業、緊急事態宣言などで稼働が大きく振り回された中、休業中や閑散期はコロナ対策の徹底や人材育成に力を注いできた。とはいえ「お客様を前にしなければ経験値は深まらない」のが実情。「一度、暇に慣れると繁忙期は気持ちと身体がついていかない」など、コロナ禍の大規模ホテルの悩みは尽きない。9月末までの緊急事態制限解除で絶景の紅葉シーズンを前に「アフターコロナに向けて社員一同が一致団結し、お客様をお迎えしたい」と気を引き締める。

 大学時代から飲食店のアルバイトなどで接客業の楽しさを覚えた。大学はスキーサークルで4年間、冬を苗場で過ごした。その延長感覚で選んだホテル業界。営業マンとしての旅行代理店回り時代が長く「何もしなくてもお客様に来てもらえた」バブルも含めた良き時代もあった。一方、仕事柄、人並みの休日を取れず、旅行などの家族サービスには悔いを残してきた。正月2日などに郷里の友人が新年会や同級会の席から電話が入ることもあるが、「参加は定年後」と諦めている。

 180センチの長身から繰り出すドライバー飛距離が「最盛期250ヤード」のゴルフ。支配人就任以降の多忙と最近の時節柄などもあり、なかなかグリーンに足を運ぶことが少ない。その代わりとして、合間を縫って出かけるのが湯西川、川治温泉などの公営日帰り温泉施設。ホテルやその他の民間温泉施設は「顔が知られているので」と苦笑いする。(2021年10月1日)
 伊勢崎青年会議所(JC)活動には、不定期の恒例事業がある。市長選や衆院選で市民の投票を促そうと開く、立候補者公開討論会だ。開催時期、実施の有無は、その時々の状況で変わる。1月17日投開票の伊勢崎市長選は、五十嵐清隆前市長の出馬表明で一旦は無投票かと思われたが、その後の辞退で新人の出馬が相次ぎ選挙戦となった。一方、10月21日で任期満了を迎え、実施が確定している衆院選は、着々とその準備を進めている。

 コロナ禍で開催した市長選で3人の市内高校生を司会に起用。会場の様子を動画投稿サイトのユーチューブに配信した。会場とWEBによるアンケート調査でも手応えを感じたという。衆院選では新たに投票者特典サービスイベント「センキョ割」を計画、協力店舗の募集を始めている。啓発動画も制作、配信する。わずか1年の理事長在任中に2回の公開討論会は異例だが「4年前にも理事として関わったから」と、淡々と受け止める。

 5月開催を予定していた主要2事業。コロナ禍で延期を余儀なくされたが「SDGs」啓発イベントは7月24日、「防災教室」は9月23日開催と、仕切り直しを図っている。今年度のJCスローガンは「今こそ示そう若者の力 今を駆け抜けその先へ」。「こんな時代だからこそ我々の若さで、未来を見据えて地域社会をより明るく豊かに変えていきたい」と、若さの特権を高らかに掲げた。

 自身にとってのJC活動は「鍛錬、研鑽、成長の場」。総合保険代理店の経営にも、それらの学びが活かされているという。業界の激変には、日々新たな知識が求められる。知識だけでは補えない総合的な知恵を、自身のネットワークでカバー。「信頼関係の基、寄り添う気持ちで長いお付き合い」が信条だ。対面必須の保険営業だが、オンラインツールによるWEB面談、非対面申込ツールの積極的導入でコロナ禍に対応している。

 仕事やJC活動も含め、日々が複数の事を同時進行するマルチタスク業務。時間管理を学び、優先順位づけ能力を高め、物事を切り替える柔軟性を養い、日々の業務をこなす。といっても基本はマイペース。多忙な中で空いた1日は、時に登山でリフレッシュする。「体力、持久力には自信がある」ことから、以前はシティーマラソン参加も。結婚にも焦ることなく、のんびりと構えている。(2021年8月17日)
 桐生川ダムやノコギリ屋根などが登場することもあり、題材に取り上げた「ノースライト」(横山秀夫著)。伊勢崎市内の読書グループ、赤石読書会(桐野嘉六会長)が、店内で開いた特別例会で、講師依頼を受けた斉藤さんが同書を読み解いた。主要登場人物の紹介から全体像に迫り、細部に至る推察を披露。ご愛嬌の脱線ぶりは、教員時代を彷彿とさせる。

 経済学部に在籍していた大学1年の夏。「夏の流れ・正午なり」(丸山健二著)の出会いに衝撃を受け、文芸学部に編入した。沢木耕太郎のノンフィクション作品にも刺激を受けた。「時代小説の他、何でも」と、今も週1冊のペースで本を手に取る。教員時代にフェルメールやアンドリュー・ワイエスに魅せられ、欧米の主要な美術館を訪れた。県職員として美術館や博物館への異動を模索したこともある。

 国語教師として38年。最初の頃の教え子に、将棋の北島忠雄七段がいる。著書「解明!相穴熊 最先端」が贈られ、今でもハガキのやり取りが続いている。最後の10年間は伊勢崎高校で、将棋部顧問を務めた。未体験でも優秀な女子部員を新たに募り、指導の末に富山市で開催された全国大会に導いた。もともと各校の女子選手層の薄さが幸いしたことも明かす。

 定年後は当初から飲食店開業を計画していた。学生時代は都内・新橋でカレー、とんかつ店のアルバイトに明け暮れ、性にあっていた。店舗探しは伊勢崎市内から始めたが、家賃や土地柄も考慮し、元新聞販売店を改装した現店舗に辿り着いた。2階を絵画や写真展などのギャラリーとして活用。1階でコンサートの定期開催など、地域の交流拠点として親しまれている。

 店の営業は午前7時から午後3時までで、火・金曜が定休日。予約など来店数が予想されるときは妻の千代美さんの助けを借り、普段は1人で切り盛りしている。様変わりした現在のコロナ渦と違い、開店当初は順調だった。以後も数年間は元同僚や教え子で賑わい、その後は徐々にご近所さんに繋がっていく。その様子を地元紙に、手慣れた筆致でエッセーに綴っている。

 来店者のとの交流が「楽しくてしょうがない」と充実した日々を語る。「儲かってないけどね」と続ける。「天職では?」と最近、カフェ経営同様に力を注いでいるのが、1カ月に1本のペースで執筆を始めた週間フリーペーパーのリポーター。最近の題材は天幕城跡(伊勢崎市)や賀茂神多(桐生市)など。多忙でまとまった休みが取れないのは、8年前から飼い始めた迷い猫、店名となった「ショコラ」の存在も大きい。
(2021年5月31日 廣瀬昭夫)
 「被災した高齢者の心の復興と生きがい・地域コミュニティーに関する研究」−東日本大震災の教訓として気仙沼市を中心に−。東日本大震災の被災者でもある、伊勢崎市在住の太田初子(76歳)さんが、東京福祉大学大学院生として取り組んでいる修士論文のテーマだ。東京・池袋キャンパスへは往復通学時間を含めた早朝から深夜までの生活で、体調を崩して一年間は休学を余儀なくされた。履修科目を終えて4月から、論文主査の研究室がある伊勢崎キャンパスで指導を仰ぐ。

 気仙沼市内の中学卒業を控えたある日、小銭を並べた前で「ごめんね」と涙を浮かべた母の姿が忘れられない。卒業後は群馬県大泉町の東京三洋電機(現パナソニック)に就職。20歳で結婚退職し、伊勢崎市内で夫と義母らと個人商店を切り盛りした。1990年に交通事故で長女を亡くし、翌年自らも事故に遭う。手足のしびれや視力低下などの後遺症で、以後歩行器は手放せない。2007年に夫をガンで失うと、ひとり暮らしの父の介護のため気仙沼に居を移した。

 父も看取った後は「これからでも学びたい」という思いをかなえ、気仙沼高校の定時制に通っていた。支えになったのは「賢い人は挫けない」と言った母の教えだ。2011年の3月11日。地震発生後の津波に備え、不自由な身体で一人、マイカーに歩行器を乗せ、避難所に向かおうとした。その最中、大津波に飲み込まれた。「このままでは死にきれない」の思いで耐え、重油の海を漂って1時間半、投げ込まれたロープにすがりついた。

 過酷な避難所生活、仮設住宅暮らしを経て翌年、長男が住む伊勢崎に戻った。決意新たに大学入学を果たすと、孫と同年代の学生らと被災地支援のボランティアサークルを立ち上げる。年に2〜3回、気仙沼に通った。目の当たりにしたのは不自由な生活を送る被災者の苦難。何よりも必要なのは「心の復興」で、とりわけ障害者や高齢者をサポートする地域の仕組みの必要性を痛感した。修士論文のテーマが絞り込まれていった。

 自宅に長男が連れてくる2歳のひ孫。「男の子だけど肌が白くて、女の子のようにかわいいの」と目を細める。夫の死後は気仙沼暮らしで、伊勢崎に戻ってからは、仏壇とベッドの生活空間は店舗の一角で足りている。商売の傍ら絵筆を執り、第一美術協会員だった夫のアトリエに残る人物画や仏画。「キャンバスは100号規模が多い」こともあり、自宅の本格的な片付けはこれからだ。「もちろん、もちろん」と言い切り、常に前を向く言葉に交じって「これからは終活も」が口からこぼれた。
 未曽有のコロナ禍で、あらゆる経済・社会活動が制限されて早1年。青年部として関わってきた夏祭り、いせさきもんじゃイベント、ミスひまわりコンテストの3大事業は中止を余儀なくされた。一方、委員会活動や前橋市内の若手経営者を招いた講師例会などは、オンラインで滞りなく開催。リアルな会員交流では、新型コロナウィルス抗体検査キットで参加者全員検査の上、2面のグランド使用で密を避けた、キックボール大会を試みた。

 昨年4月就任早々に取り組んだのが、市内飲食店のテイクアウト・デリバリー情報の発信だ。青年部卒業生らを中心に運営されている、地域ポータルサイト「imap」に相談、協力を要請し、同サイトから店名、ジャンル、連絡先がわかる一覧ページを素早く情報発信した。青年部で新たなSNSツール立ち上げも考えたが、浸透には時間がかかると判断し即座に動いた。

 昨年2月の一斉休校を機に、自身で最悪のシナリオも想定した仮説計画を立てて準備した。練習も踏まえてリモート会議を先行実施。副会長や各委員長予定者には、各事業の意義や目的のおさらいと今後のビジョンを事前検討してもらうことで、スムーズな4月スターを切った。会員間のSNSツールでコロナ関連の各種助成事業を情報発信する一方、会員の悩みなどを聴くアンケート調査も実施してきた。

 「計画を立て、まず一歩を踏み出す」「どんな状況でも、その中で何が出来るのかを考える」。それらに「臨機応変に対応する」のが信条だ。青年部入会は、親族経営の組織の「外の世界を知り、勉強したい」と自ら門を叩いた。尊敬する先輩で島田工業(伊勢崎市長沼町)の島田渉社長から、刺激的な青年部活動について聞いていたことも大きいという。

 人材派遣業で製造の一端を担うなか、芽生えたモノづくりへの憧憬。部品生産にとどまらない完成品を模索した時、全工程に関わる農業こそが究極のモノづくりに映った。ハウス栽培による通年生産と継続雇用が可能なミニトマトを選んだ。温度・湿度管理を始め、給水、通風を作業所内に設けた制御機器で一括管理している。

 取り入れているのはハウス内のCO2濃度なども環境制御を徹底するオランダ式農業だ。一週間に一度は高さ、茎サイズ、花数などをサンプリング計測。データを蓄積し、空いた時間も「ミニトマトの過ごしやすい環境を考える」。品質、納期厳守の安全安心をベースに、販売先から“是非・・・”と求められる、極上のミニトマト探求に日々余念がない。
(2021年2月14日)
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