【ピープル】伊勢崎市内外の各分野で活躍する、市民を紹介します。各種団体のトップに、業界の現状と今後を聞き、まちづくりに取り組む市民も取り上げます。情報はinfo@press-isesaki.com
 あんみつを頼んだのにわらび餅が運ばれてくるような「注文を間違える茶屋」が1日限定の4月13日、境地域福祉センター(伊勢崎市境上武士)にオープンした。来店者は開店前に、装着したゴーグルのバーチャルリアリティ(VR)技術で、認知症の幻視症状などを体験する。2025年には5人に1人が発症すると言われる認知症。伊勢崎JCが企画した、その体感プロジェクト「みらい創造セミナー」だ。

 定員50人は満席。「間違えたことを責めずに受け入れる」「声を掛ける言葉が違ってきた」など、参加者の気づきには熱がこもる。前年度に理事長の打診を受ける中で自ら企画。準備には伊勢崎佐波医師会や医療法人関係者と担当メンバーらが事前相談。高齢化社会を見据えた若者(JC在籍は20〜40歳)の企画に、相談先では「意外」だけれど「面白い」と、多くの協力と賛同にも確かな手ごたえを感じた。

 人口減少・高齢化社会を悲観的にみることなく、生産年齢人口層と高齢者層が協働する社会への進化の過程と捉える。日本人が古来持っている「助け合い」「和の精神」を強調。それを発揮できる人材の育成を自らと組織に求める。学びと積極的な行動で健全な新陳代謝を図る。同時に組織の拡大には卒業OBの輩出も「数の力」として、JC活動が目的とする持続的な「明るい豊かな社会の実現」を目指す。

 兄が社長で、専務として営業全般を担当している社業は青果卸。関連会社で農業生産法人も持っている。食の好みや多様化する業態の変化への対応が課題で、カット野菜などの加工やパッケージ化もその一環。地域活性化も視野に、今まではなかった食品素材として、県内産やまと芋100パーセントの粉を商品化している。

 県内私立高校を1年の1学期で中退し、全国から生徒が集まる、自由で特色ある校風の星槎国際高校に編入学した。自分の居場所を求めて親を説得。あえて困難な道を選び、都内のキャンパスにアパートから通学した。この3年間と卒業後も都内に留まり2年半勤めた、カラオケ店の接客や裏方アルバイトが、人間修行の場だったと振り返る。

 家族は妻と長男(9歳)、二男(6歳)の4人家族。子供たちに今から言い聞かせているのが「大事なことは自分で決めろ」。休みがあれば足を運びたいのが、日本のロックバンド「ネバーヤングビーチ」と「ヨギー・ニュー・ウェーブス」のコンサート。Jリーグ開幕以来の「浦和レッズ」のファンで、年に5回はスタジアムで応援している。理事長としての多忙な活動もあり「 今シーズンは一度も行けそうにない」と諦めている。(2019年4月20日)
 「えっ、こんなところで」と驚く、冷え込みが厳しい夜のJR伊勢崎駅北口。駅舎や高架上のホームからこぼれる明かりの中を、通行人がまばらに往来する。その脇の駅前公園の縁木に腰掛けて、ギター片手に熱唱するストリートミュージシャン。路上ライブは昨年夏から友人と前橋駅で既に経験済みだった。

 伊勢崎駅北口には、昨年12月から毎月午後7時頃から9時頃まで、第1・第3金曜日に仕事を終えてかけつけている。「音楽で何も無い所から盛り上げたい」が、高崎や前橋、伊勢崎駅では賑やかな南口より人通りの少ない北口を選んだ理由という。ここでは高校生らが時折立ち止まったりするが、ほとんどの通行人は目線を向けることもなく通り過ぎる。

 1998年に急逝したXJAPANのギタリストhideの音楽や生き様など、高校生時代はその全てに憧れた。勢いで専門学校時代に友人とバンド活動を始めたものの、仕事や家庭を持つと続かなかった。再びギターを手にしたのは、環境が多少落ち着いてきた3年程前。ブランクを埋めるために、ギター教室に通い始めた。その講師の紹介で初ステージを踏んだのは2016年12月。これをきっかけに、さまざまな場で演奏活動を始めている。

 4人組バンド「glad」(グラード)、ヴォーカルとの2人組みユニット「longchocolate」(ロングチョコレート)を昨年、相次いで結成。ここではアコースティックギターを弾いているが、4人組ユニットの「ハレアラレ」ではヴォーカルを担当している。アコースティックライブハウス「音処きしん」を拠点に活動の場を広げている。同ハウスマスター出演の前橋CITYエフエムで毎週火曜日放送の「きしん伝心」(午後7時〜7時30分)。第1火曜日にパーソナリティを務めている。

 現在はオリジナルCDを企画中。ロンチョコで相棒のヴォーカル「RUMI」さんに作詞を依頼し、自身が作曲する。次の目標はまだ明確に決めていないが、伊勢崎駅北口の夜間路上ライブは今後も続ける。「例え少ない応援でも、聴いてくれる人がいるだけで頑張れる」と、へこたれない。

 2004年に結婚し、長男(小6)、次男(小4)、長女(年長)の5人家族。奥さんとはゴルフ練習場のアルバイトで知り合った。演奏活動については「しょうがない」と半ば諦め顔でうなずく奥さんに「理解してもらっている」つもりでいる。

 家族サービスは、自身の趣味も兼ねたアウトドア。ワンボックスカーにテントなどのキャンピング用具を詰め込み、ギター持参で出かける。川遊びが好きで、玉村町内の河川敷など近場が多い。この時とばかりに専属シェフに変身し、家族をもてなす。演奏活動の負い目を、こうした家族の団欒で穴埋めしている。(2019年2月20日 廣瀬昭夫)
    
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 「お母さん、僕は絶対にあの人のようになるよ」。そう告げたのは、小学1年の誕生日祝いで、チェコプラハ管弦楽団を指揮した武藤英明氏を目の前にした時だ。ひょんなきっかけから数ヵ月後、当時チェコ在住の氏からエアメールをもらい、交流を始めている。

 幼児の頃からピアノに触れていたのは、教室を開いている母の影響。漫画や絵本がわりに手に取っていたのは、クラシックのCDだった。1歳の頃は、しゃべるより先に鍵盤に手を置いていた。周囲からは早期の専門的な教育を促されたという。

 「オーケストラが見違える自然な棒の振り方、グィッ〜と引っ張る力がとにかくすごい」。そう驚嘆したのは、広島交響楽団音楽総監督で、京都市立芸術大学音楽学部教授の下野竜也氏が、群馬交響楽団を客演指揮した小学3年生の時だ。当時は上野学園大学教授だった縁もあり、学園への中学・高校進学に繋がった。

 東京芸大の指揮科の学年定員は2人で、今年その難関を現役で突破。東京・上野通学は、中高を含めると通算7年に及ぶ。中高時代は早朝や授業終了後のレッスンと超過密日程をこなした。通学電車の車中、作曲では譜面を取り出し、頭の中で音を並べた。

 指揮、ピアノ、作曲の3刀流を難なくこなすが、作曲はどちらかといえば「趣味の延長」と顔をほころばせる。作品は既に100曲近い。詩人の中原中也や高村光太郎などの詩に曲をつけたり、赤城山をテーマにした楽曲もある。

 留学を視野に入れる中で熱望しているのがフランスだ。近代フランスの印象派と新古典主義に心惹かれるという。カワイ前橋ショップで11月3日開催のピアノコンサート。プログラムは、ショパンやラヴェル、ドビュッシー、メシアンなど、フランスに関わる作曲家にこだわった。

 逸材として真価を問われる第一歩のステージが、12月25日の東京・杉並公会堂。現代音楽作曲家の権代敦彦氏作曲「Saewol-海から」の日本初演に指揮を執る。大学では学年有志でオーケストラ「ミレニアムシンフォニー」を組織。9月の芸祭に続いて来年2月22日、初の外部演奏会(有料)を開く。(2018年12月16日)

 オカリナ奏者としてまだ無名だった宗次郎氏(館林市出身)のテレビ演奏で、その音色に惹かれた。思わず楽器を購入してしまったという。引き出しの奥にしまったそのオカリナを、再び手にしたのは5年後の1988年だった。

 宗次郎氏の師、火山久氏率いる「足利ネオ・クレイトン・アンサンブル」。その前橋公演で、上質な演奏に衝撃を受けた。オカリナだけでなく、教会音楽の作曲家としても、国際的評価を得ていた火山氏をこの時、初めて知った。

 半年後の火山氏指導のオカリナ教室(前橋市内)開催で、2年間指導を仰ぐ。月2回の指導は、初心者ばかりの受講生には時間不足。設計事務所勤務が終わる午後10時〜11時、路上脇に停めた帰りの車中で、午前0時を過ぎるまで練習に明け暮れた。

 めったに褒めることがなかったという火山氏。数ヵ月後、練習の成果を単独で聴いてもらった時、握手を求められた。この時の「火山先生のグローブのような手が今でも忘れられない」と昨日のことのように語る。

 四重奏団はソプラノ、アルト、テノール、バス(栗原さん)を担当する愛好者4人で2008年に結成。プロ・指導者・愛好家が年1回、埼玉芸術劇場に集う「ジャパン・オカリナ・フェスティバル」には2010年から出演し、2013年にはトリを飾った。

 県内各地の演奏活動では唱歌、世界民謡、クラシックなどの演奏に合わせミサ曲などを披露している。愚直に求めてきたのは、四重奏から生まれる純正調の美しい響き。「次の世代にきちっと伝えたい」と、2つのオカリナサークルの講師も務める。

 穴を開けた陶製の壷を共鳴させるオカリナ。音域は狭いが、息の強弱により不器用なまでに素朴で、暖かな音色を紡ぎ出す。「土の素材が持つ豊かな音楽性。その可能性を追求したい」は、師が指摘していた言葉でもあった。

 オカリナ同様に熱く語るのは、建築設計士として関わる“街づくり”。代表を務める「いせさき街並研究会」ではワークショップ、まち歩きの案内などを通して「歴史を活かした街づくり」を根気よく提唱し続けている。(2018年11月27日)
 伊勢崎市第二市民体育館(乾町)で10月8日興行の「WWSプロレス」。「デスマッチの帝王」の異名と、過激な鎖鎌や火炎噴きで観客を沸かせた、伊勢崎市生まれのプロレスラー、ミスター・ポーゴ(本名:関川哲夫さん)が設立した地域密着のプロレス団体だ。

 2000年の設立以前から付き人兼マネージャーだったことから、携わってきた運営。昨年6月、ポーゴ病死(享年66歳)に伴い、代表を引き継いだ。

 「人生を変えた」と言わせるポーゴとの出会い。経営していたパブにポーゴが顔を出すようになったのが縁だった。面倒見の良さを買われて、ほどなく付け人兼マネージャーに。プロレスファンだったことから、二つ返事で引き受けた。

 飲食店経営者兼スキンヘッドで赤フンいっちょうの「謎のマネージャー、ラーメンマン」の誕生だ。リングサイドから、ポーゴ現役時代は武器運び(火炎噴射の火種など)も担当した。

 試合中、脇にいてその火を吹きかかけられたこともあり「酷い目にあった」とこぼす。一方で「お茶目で寂しがり屋」と憎めない一面も明かす。夜中の電話は頻繁で、時には「部屋にお婆さんがいる」と幽霊を怖がった。

 「プロレスラーとしてだけでなく、プロモーターとしても一流だった」というポーゴ亡き後、昨年11月の追悼興行(伊勢崎市第二市民体育館)や東京・新木場興行を開催してきた。「今後もポーゴさんとゆかりの選手たちと、地域密着でファンの期待に応えたい」と決意を語る。

 ポーゴのあとを継ぐエースとして、期待を掛けるのが、体もひとまわり大きくなった高瀬直也。「ポーゴさんの名を残しつつ、ファンに楽しんでもらえる新しいことにも挑戦したい」と新たな看板レスラーの育成や新企画にも力を注ぐ。

 ラーメン店経営と並行して、今は8日開催の興行の準備とチケット売りに忙しい。その合間に、スマホのラインゲームを仲間と楽しんでいる。(2018年10月5日)

 関連記事 この街ピープル「プロレスラーミスター・ポーゴ」(2010年7月9日)
 伊勢崎市出身で「からりこ節」「ちゃっきり節」を作曲した民謡開拓の第一人者で、現代邦楽の開祖として知られる町田佳聲―。市内の有志で組織する「生誕130周年実行委員会」(下城好男委員長)が今年、さまざまな事業を展開している。 実行委員の一人でもあり、所属する相川考古庫館学芸員として「作曲家町田嘉章と詩人北原白秋・西條八十」(2018年5月23日〜6月10日)の企画展を担当した。

作曲家としての佳聲を中心に、交流のあった白秋、八十の関連資料を展示。関連レコードを揃え、企画展冊子もまとめた。企画展タイトルは筆名の「佳聲」ではなく、本名の“嘉章”にこだわった。企画展でクローズアップした新民謡時代は、嘉章の名で多くの作曲を手掛けたからだ。

 相川考古館の目と鼻の先にある、起(むく)り屋根の瀟洒な建物が、佳聲の生家。地元の伊勢崎と白秋や八十との接点を知ったことは「衝撃的だった」と驚きを表現する。活動は相川考古館としての単体運営にとどまらず、周辺地域のさまざまな歴史資産との連携を模索。「十分な素材がある」と、観光立地都市を視野に入れる。帰省後、さまざまな関係者との交流を深めてきた狙いがそこにある。

 切り絵に魅了されるきっかけは、中3の仏像の切り絵授業。好評価に気を良くし、大学では2年生の文化祭で、作品展を開いた。「将来の仕事の一貫に」と卒業後は、紙に係る業態の会社に勤務したほどだ。

 伊勢崎市緑町の路地裏で9月9日に開かれた「路地裏ビアガーデン」。このポスターデザインを切り絵で作品にした。現在も旧時報鐘楼や伊勢崎神社など、地域の風景や風物の切り絵作品の制作を続けている。作品がたまったら、ポストカードにする予定。切り絵作家としての夢も、少しずつ手繰り寄せようとしている。(2018年9月14日)

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