市政に無関心な若者啓発
伊勢崎市長選で初のインターネット広告
SDGsって何?知って、学んでみんなで描く明るい未来の樹
開催日時:5月22日13時・2回14時・3回15時
会場:境赤レンガ倉庫/伊勢崎市境765-1
参加(無料)対象:小学生(1、2年生は保護者付添)
築地銀だこがコンテナ店舗で出店
伊勢崎市内の3月食品営業許可施設
音楽と飲食楽しめる音楽酒場「オトノマ」開店
シンガーソングライター松浦たくさんが“集いの場”実現
「清掃サービス」で初のエコマーク認定
ビルメンテナンス業で環境配慮のグンビル

NEWS加藤シゲアキの吉川英治文学新人賞「オルタネート」初登場
伊勢崎市4図書館3月の予約待ち各種ランキング
東日本大震災被災者に「心の復興」を
76歳の大学院生 太田初子さん

 「被災した高齢者の心の復興と生きがい・地域コミュニティーに関する研究」−東日本大震災の教訓として気仙沼市を中心に−。東日本大震災の被災者でもある、伊勢崎市在住の太田初子(76歳)さんが、東京福祉大学大学院生として取り組んでいる修士論文のテーマだ。東京・池袋キャンパスへは往復通学時間を含めた早朝から深夜までの生活で、体調を崩して一年間は休学を余儀なくされた。履修科目を終えて4月から、論文主査の研究室がある伊勢崎キャンパスで指導を仰ぐ。

 気仙沼市内の中学卒業を控えたある日、小銭を並べた前で「ごめんね」と涙を浮かべた母の姿が忘れられない。卒業後は群馬県大泉町の東京三洋電機(現パナソニック)に就職。20歳で結婚退職し、伊勢崎市内で夫と義母らと個人商店を切り盛りした。1990年に交通事故で長女を亡くし、翌年自らも事故に遭う。手足のしびれや視力低下などの後遺症で、以後歩行器は手放せない。2007年に夫をガンで失うと、ひとり暮らしの父の介護のため気仙沼で暮らした。

 10年前の3月11日。父も看取った後は「これからでも学びたい」という思いをかなえ、気仙沼高校の定時制に通っていた。支えになったのは「賢い人は挫けない」と言った母の教え。不自由な身体で一人、マイカーに歩行器を乗せ、避難所に向かおうとした。その最中、大津波に飲み込まれた。「このままでは死にきれない」の思いで耐え、重油の海を漂って1時間半、投げ込まれたロープにすがりついた。

 過酷な避難所生活、仮設住宅暮らしを経て翌年、長男も住む伊勢崎に戻った。決意新たに大学入学を果たすと、孫と同年代の学生らと被災地支援のボランティアサークルを立ち上げた。年に2〜3回気仙沼に通い、目の当たりにしたのは不自由な生活を送る被災者の苦難。何よりも必要なのは「心の復興」で、とりわけ障害者や高齢者をサポートする地域の仕組みの必要性を痛感した。修士論文のテーマが絞り込まれていった。

 自宅に長男が連れてくる2歳のひ孫。「男の子だけど肌が白くて、女の子のようにかわいいの」と目を細める。夫の死後は気仙沼暮らしで、伊勢崎に戻ってからは、仏壇とベッドの生活空間は店舗の一角で足りている。商売の傍ら絵筆を執り、第一美術協会員だった夫のアトリエに残る人物画や仏画。「キャンバスは100号規模が多い」こともあり、自宅の本格的な片付けはこれから。常に前を向く言葉に交じって「これからは終活も」が口からこぼれた。(2021年3月8日 廣瀬昭夫)。※写真はパワーポイントで作成した修士論文構想書を手にする太田さん。

「この街ピープル」(いせさき新聞2004年〜2018年)の過去記事。
2004年〜11年 2012年〜13年 2014年〜17年 2018年1月〜8月
SDGsを支援し「環境の街 日本一を目指す」臂候補
2021年伊勢崎市長選 3立候補者に聞く【3】