【ピープル】伊勢崎市内外の各分野で活躍する、市民を紹介します。各種団体のトップに、業界の現状と今後を聞き、まちづくりに取り組む市民も取り上げます。情報はinfo@press-isesaki.com
 社会的課題やボランティア活動に取り組む青年会議所(JC)の年間事業には、当初計画にはない不定期事業も発生する。伊勢崎市と桐生市の2区を選挙区とする衆院選、伊勢崎市長選の候補者を招いて開く公開討論会だ。10月27日投開票の今回の衆院選は、開催前提の15日公示日前までの準備期間はわずか2週間ほど。3日〜5日まで福岡でJC全国大会出席も重なっていた。その周知や会場確保、候補者の出席調整など時間不足は明らかだった。

 「やればできたかもしれないが」と思い起こすが、中途半端なままでは事業費投入に見合う成果も見通せない。役員幹部との協議の中では開催を主張するメンバーもいたという。前橋や高崎など県内5区の該当JCの状況も確認し、共同開催の桐生JCとも調整。最終的にはリーダーとして中止を決断した。「投票率を上げる取り組みは他にもあるはず」とも考察。その際の状況を淡々と説明する様子には、事にあたっての力みは感じられない。

 スマーク伊勢崎で5月に開催した「伊勢崎防災体験フェスティバル」は、行政や他団体の協力も得て実施。想定1000人に対して延べ1500人が参加し、子供達には降雨車や起震車で楽しく体験してもらった。同様に想定を上回る来場者を集めたのが、いせさき祭りに呼んだ5人組アイドルでユーチューバーの「リアルピース」。本来は開放している広場を300人に限定し、警備をより厳重にしたことが印象に残ったという。

 2018年に委員長を務めた青少年を育成するi-kids委員会。赤堀せせらぎ公園(現センヨシせせらぎパーク)で子どもたちを引率して100人キャンプを開いた。翌日は波志江沼環境ふれあい公園で、スポンジチャンバラを使ったチーム合戦。目標に向かって仲間と協力することを子供たちに学んでもらった。計画から実施まで例年にない大事業だったが、自身の子ども好きもあって、終了後は「大きな達成感を味わった」と満足そうに語る。

 JC入会2年目では、あまり例がないという群馬ブロックへの出向。県内各地の多くのJC活動を知る、得難い機会となった。以後のJC活動でも多くの仲間との出会いがあった。「高校は高崎だったが、この時期も含めて大学、社会人と約9年間、伊勢崎を離れていたこともあり、その後に出会えたJC仲間がかけがえのない存在に」と振り返る。

 会社は創業60年という、祖父の代から続く段ボール製造業。自動車部品関連を中心にその物流を担っている。「差別化しにくい業界だが、価格競争には陥りたくない。まずは現状維持のなかから」と次のステップを見据える。学生時代のような「海外は今のところ興味がない」ことから、ゴルフを含めた1,2泊程度の国内旅行に目が向いている。最近はJC活動関連に留まっているが、「いい出会いがあれば」と、人生という旅の同伴者を求めている。
 放映中のNHK朝ドラ「虎に翼」で伊藤沙莉さんが身に纏っていた着物が、大正から昭和初期にかけて一世を風靡した伊勢崎銘仙。「可愛い。大胆で目立つデザインと色使い。こんな着物があっていいんだ」。都内の着物好きが集まる会で初めて銘仙を目にした時の衝撃と感動が、現在の活動に繋がっている。3月に開店した、いせさき銘仙・アンティーク着物の「華々HANABANA」は「銘仙のまち伊勢崎プロジェクト」の取り組みの成果ともいえる。

 24歳頃から通い始めた、自由な雰囲気が気に入った着付教室。これを縁に都内の古着屋を巡り、群馬県内で伊勢崎銘仙を扱う店の開業を考えた。仕事の傍ら、週末は東京・原宿の着物古着店でアルバイト。仕入や経営のノウハウを学んだ。高崎市内の古民家を手作りで1年かけて改装し、開店にこぎつけたのは28歳の時。夜間に改装個所に印を付け、週末に鋸や金槌を手にして作業を進めたのは、DIYが得意な交際中の2歳下の夫だった。

 交際4年後の32歳で結婚し、伊勢崎の夫の実家に転居した。店の運営は軌道に乗りつつあったが、移動も考えて7年後に閉店。夫と話し合って共に着物業を営むことを決意し、新たに前橋で物件を探した。紆余曲折を経て2011年に出店したのが「きものリサイクルセンター無二。」だ。育児のために前橋店を任せている夫は、ここに至るまでも仕入れから店舗運営まで献身的にサポート。結婚のためにダンプ運転手から、安定した職を求めて専門学校で修学後、病院の栄養士の勤務経験も持つ。

 「銘仙のまち伊勢崎プロジェクト」は、いせさき楽市などの事業と連携し、関連展示や小物販売などを通して銘仙の魅力を伝え、新たな価値創造でまちの活性化を促すことが狙い。2022年7月の伊勢崎市主催の「まちなか宝探しのワークショップ」の事業企画で、これまでの取り組みが優秀プランに選ばれた。まずは個人の思いの充実をとグループの応援を受け、以後の関連イベントに取り組む中、本町のSOAビル西側の角地テナントビル1階に「華々」はオープンした。

 同店は単なる街中の銘仙着物ショップに留まらず、銘仙関連の情報発信基地、関係者だけでなく銘仙に感心を寄せる老若男女が集うサロンを目指している。「銘仙をもっと多くの人に知ってもらいたい」。そんな思いを込めて、店内の中央には大きな丸テーブルが置いてある。銘仙の魅力発信のため、今秋には店の2階を借り、関連イベントの開催なども計画している。

 店舗運営の他、関連イベント参加や月に3回程度は足を運ぶ都内への買い付けで多忙を極めている。その合間を縫って休日の小学5年の二男の少年野球の付き添いが、もっかの癒し。ひたすら好きなことに邁進できたのは、常に傍らで支えてくれる存在があったから。朝ドラ「虎に翼」で日本人初の女性弁護士となる妻に「好きなことをしていいんだよ」と妻を応援しつづけた夫「雄三さんみたいですね」。取材の終わりに、記者がそう水を向けると「あ〜本当にそうですね」と、あらためて感謝の表情を浮かべた。(廣瀬昭夫)
 子どもの居場所づくりや貧困対策として、子どもたちに無料か低額で食事を提供する「子ども食堂」。関係団体の直近調査(速報値)では、全国に9131か所と増加している。とはいえ運営形態はさまざま。店舗を確保し、子供には無料で毎日(平日、昼のみ)食事を提供している運営団体は少ない。広瀬小学校の西側、平屋建てでオレンジ色の下地に白抜きされた看板が際立つ店舗「子ども食堂 てんとうむし」は、そのひとつだ。

 2年前に開設したこの食堂は、子どもの居場所確保や孤食とフードロス削減のコミュニティの色合いが強いが、来店が困難だったり経済的困窮家庭の子供には個別に対応している。もともと大学時代からフードロスには強い関心を持っていた。やるべきことが明確になったのは、母親として2人の子育てに苦労したことが大きい。この2つが融合した。二男が小学校に入学し、少し手がかからなくなったのがタイミングとなった。この間、前橋の友人の子ども食堂を手伝ったことも決断を促した。

 「子育てに余裕がなく、自分の子はなかなか誉められなかった。向き合ってしっかり話を聞くことも少なかった」。その反省から来店する子どもたちへは、まず褒めることから始める。その上で気がついたことは注意し、必要に応じて叱る。特に挨拶は親よりもうるさく、時には喧嘩もする。だからこそ「信頼関係が築ける」と言葉に力がこもる。ただ、こうした人間関係が定着したのはここ1年のこと。「それまでは毎日が必至で、一番大変だった」と苦労を滲ませる。

 傷や不揃いで廃棄する野菜などは農家から。廃棄する前の食品や日用品は企業、贈答品や消費しきれない食品、日用品は一般家庭からの寄付で賄っている。これまでに築いた人脈に加えて、毎日の新たな出会いの中で、お手伝いなども含めて志に共感した協力者は増え続けている。留守をしている店の玄関前に、知らない人からの野菜が届けられたりもする。インスタグラムでは日々提供される寄付を報告し、感謝を伝えている。大人1食800円のランチ収入も運営を支えている。

 境、東、赤堀地区に、同様の子ども食堂開設が次の目標。「朝から夜の7時8時まで開きたい」の思いも強い。資金、人材も課題となるが「食堂で私の不在を知ると、寄ってこなくなる子どもが」と、直面する悩みも吐露する。取材は某日の午後2時から3時までの約1時間。この間に数人の子供たちが入れ代わり立ち代わり店を訪ずれ、店内で談笑していく。ハンドルとホイールを入れ替えた自転車を見てもらおうと駆け付けた子もいた。

 大学時代は飲食店や学習塾、吹奏楽指導とアルバイトを掛け持ち。当時のホリエモン(堀江貴文さん)に刺激を受けて始めた株式投資で毎日、日経新聞を読み込んだ。後の起業や子ども食堂の活動に繋がった。現在は月に一度、前橋へ写経に通い、心を整えている。子どもの送り迎えで一緒に通い始めたボクシング。釣りのため1級小型船舶操縦免許取得は2年前。大型二輪免許取得が2か月前。旺盛な行動力が人との出会いの連鎖を生み、子ども食堂の支援の輪を広げている。(廣瀬昭夫)
 「枠組みを崩して新たな挑戦を」と会長としての意気込みを語る。その一例が2回目の「WARK WARK☆フェス2023」(11月17日〜18日開催/アイオーしんきん伊勢崎アリーナと周辺施設会場)。市内商工・農業者、飲食店が企業PRや製品紹介の他、グルメエリア、特設ステージでは歌謡ショーなども開く。初の試みとなるJA主催の農業祭り、物販、試食・飲食、eスポーツ大会など盛りたくさんの企画で”体験型”をアピールする。

 もともと群れることが好きではなかったが「尊敬する同業の先輩の誘い」を機に入会。数年後には親団体の日本商工会議所青年部のビジネス対応・広報・ビジョン・企画委員として断続的に4年間出向し、全国各地を訪れた。この間、地元青年部でも多くの先輩にかわいがられ、出向先でも全国の青年経営者との交流で多くの刺激を受けた。「人との繋がりが財産」と言わしめ、「その恩返しに」と青年部活動の現在の拠り所を淡々と語る。

 ここ数年の青年部の精力的な活動で誘致した、2025年2月開催の青年部全国大会。20年の企画委員出向時の地ならしから関わり、当該年度の開催大会実行委員長(予定)の重責も担うことになっている。本人の自覚はなかったが、出向を推してもらった先輩に「その心ずもりだった」と後から聞かされる。誘致のためのプレゼンテーションでアピールした「オール群馬」体制。今年度は伊勢崎青年部会長として、県内の他青年部との調整に腐心している。

 全国大会開催に向けて、膨大で前例のない会員情報の全国発信にも工夫を凝らす。伊勢崎の情報ポータルサイト「アイマップ」連載中のインタビュー記事「経営者の輪」。青年部OBで運営していることもあり、同枠で全国大会までに会員238人(10月27日現在)全員掲載の企画を提案した。目下、次々と入会する新会員も含めた、未掲載会員の取材と掲載を同編集部で急いでいる。

 17年に青年部会員仲間と共同で始めた不動産投資会社「上州家守舎」(本社:連取町)は、リノベーション建物をシェアオフィスなどとして再活用している。ドローンの離発着や操縦訓練、ライセンス取得スクールとして20年に開設したのが「群馬ドローンステーション」(本社:大手町)。いずれも全国青年部出向時の人脈と刺激を事業化に繋げた。一方、「ぐんぱつ管理」本業の賃貸管理や物件仲介では「地元に根付いた」地道な経営を標榜する。

 市主催のまちなかシンポジュウムにパネラーとして参加するなど仕事柄、街づくりにも一家言持っている。行政には「挑戦する姿勢が欲しい」と注文する。とりたてて熱く語るわけでもなく「のらりくらり」的な雰囲気が妙になじみ、説得力を持つ。コロナ前には子供(中2、小5の男子)との美術館巡りが楽しみのひとつだった。同様の子供時代を送った「母の影響」と回想する。気になる美術館の企画展は関東一円なら躊躇なく足を運ぶ。(廣瀬昭夫)
 より良い地域社会づくりのために、ボランティア活動や社会的課題に取り組む青年会議所(JC)。会員は会社経営者やその後継者が多い中、「神職は珍しいのでは」と質問。「県内には前橋と沼田にも会員神主がいます」とさらりと返し、とりたてて特別のこととは考えていない。「神社には地域で人と人を繋ぐ使命があり、JC活動がおおいに役に立っている」と活動の共通性を指摘する。

 演劇に興味を抱いていた高校2年生の2003年、JCの卒業生だった父にも勧められて参加した伊勢崎JCの40周年記念ミュージカル「パーフェクト・ファミリー!?」。本番までの3か月間、人と地域の凝縮された熱い思いに満たされた。26歳の入会前から活動の何らたるかに触れ、「修練」「奉仕」「友情」のJC3信条が、他のどの会員よりも自らに浸み込んでいると自負している。

 今年度取り組む事業の基本理念は「リーダーシップを発揮し、自ら考え行動できる魅力ある人材の育成」だ。不確実な未来を、雄々しく生き抜く力を育む。9月9日開催の創立60周年記念講演会「10年後、君に仕事はあるのか/未来を拓く『情報編集人』の育て方、磨き方」(藤原和博「朝礼だけの学校」校長)はその中心事業。子供たちの肯定感を高めようと4月に実施した、子供たちの絵をラッピングした市コミュニティバス運行もその一環だ。

 2015年に担当した青少年育成事業。市内中学生が市議会議員役で、まちの課題に取り組んだ。「大きくなったらJC入に会し、まちの発展の役に立ちたい」と、一人の中学生が顔をほころばせながら語った笑顔が忘れられない。巡り合った60周年の節目については「これまでの地域活動の積み重ね、その信頼の上に、我々の現在の恵まれた環境がある」と諸先輩に感謝する。

 ちょっとした工夫、アイデアや事業手法で地域の活性化を試みている。伊勢崎銘仙を内外に発信しようと話題を集めた,用紙に銘仙柄を採用した御朱印。JC仲間に教えてもらったクラウドファンディングを活用した。銘仙生地を使ったお守り袋は、同じ柄でも異なった裁断箇所による"自分だけのお守り"が売り。昨夏に頒布を始めた神玉は、県内七社を巡って集める「上州神社巡拝」とフィールドを広げている。

 神職はオンとオフをつけにくいこともあり常に忙しい。JC理事長と同時期に「求められることは幸せ。こちらも全力で取り組む」と、群馬県の神職青年会会長も引き受けている。気が抜けない日々の中で、ホッとできるのが子供たちと遊ぶ時間。二人の子どもには「一人の人間として敬意をもって接し、一緒にいる時は全力で向き合う」。ゲームで遊ぶ時も決して手を抜かず、わざと負けることは一切ない。(廣瀬昭夫)
 キングレコードから5年前にCDデビューした。介護の仕事の傍ら、歌手活動を続けている。学生時代、結婚後もしばらくは、そうした環境とは無縁の生活だった。アカペラのコーラスグループにほんの少し在籍したことはあるが、子育てやパート勤務の忙しさにかまけ、ほどなく足が遠のいていた。50歳を過ぎてから、突き動かされるようにこの道に入った。

 友人に刺激を受けて2016年、初めて出場した群馬テレビ放映の第30回群馬県歌謡大賞。2回の予選にブロックごとに勝ち上がり決勝に残ったが、賞に絡むことはなかった。「大会出場や賞の獲得が目的ではなかったが、無性に悔しかった」。「自分の良いところを引き出してくれる、しっかりした指導を受けてさえいれば」と、この時初めて師とのめぐり逢いを求めた。

 それがきっかけで出会ったのが、作曲家でピアニスト、歌唱指導もしている、さかたひとしさんだ。さかたさんの作詞作曲によるCDデビューは、指導1年後に訪れた。最初は猛反対する両親や夫への説得に追われた。制作費などの不足分は自身の借金でメドをつけた。「一生の夢が叶った、もう次はない」と思い込んでいた矢先の6月30日、2枚目CDをリリースする。協力者だった夫は他界し、今回は一人娘にも直前まで打ち明けなかった。

 その楽曲のひとつが、バスの車窓や車内から乗降客を見つめ、物思いにふけり「降りる先にはみんなが待っている」と締めくくる『バスを降りるまで』(作詞・作曲さかたひとし)。「一区切りの終点の先に新たな人生が見えてくるような、そんな心境」に自身を重ねた。さかたさんが数年前に誰のためでもなく作った曲だったが、「これは私の歌だ。私が歌いたい」と、後先考えずに頼み込んでいた。

 伊勢崎市境町の赤レンガ倉庫や中澤カフェ(同)などで「地道にコツコツ」歌手活動を続けている。「ストレス発散」は仕事帰りの一人カラオケ。「時の流れに身を任せ」など、テレサ・テンの曲が気に入っている。目標とする歌手は「考えたこともない」が、強いて挙げれば「美空ひばりさんかな」と、首を竦めて遠慮がちに答えた。(廣瀬昭夫)
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