【ピープル】伊勢崎市内外の各分野で活躍する、市民を紹介します。各種団体のトップに、業界の現状と今後を聞き、まちづくりに取り組む市民も取り上げます。情報はinfo@press-isesaki.com
 アイオーしんきん伊勢崎アリーナ(伊勢崎市民体育館/堤西町)とその周辺を会場に2月26日、全国の青年経営者およそ7千人が集う大懇親会が開かれる。24日から前橋市内で式典、太田市で諸会議、桐生・渋川・富岡・館林市内各所で分科会を開き、延べ参加者(オンライン含む)は1万2千人に及ぶ。日本商工会議所青年部(YEG)が主催し、群馬県連合会が主管。メイン開催地の伊勢崎YGEが誘致し、数年前から準備を進めてきた第45回全国大会だ。地域内経済波及効果は32億円が見込まれている。

 前年度の伊勢崎YGE中川誠会長が大会会長、前々年度の同菅家世誉会長が大会実行委員長で、群馬県内9単会の会長は副会長として大会運営を支える。主開催地の伊勢崎が筆頭副会長となるため、まとめ役としてこれまで汗をかいてきた。全国大会はこれまで県庁所在地など大都市中心で開かれてきたが「”ハイパーローカル”と銘打ち、20万都市でも背伸びせずに開く先例を」と新たな全国大会像を提唱。「生活」「教育」「環境」など、日本YGEが掲げる13のテーマを伊勢崎、群馬の地から発信する。

 毎年恒例のいせさきまつりでは、国際色豊かに外国籍の市民を招き、オープニングセレモニーが盛り上がったことを思い起こす。参加者限定の全国の「会長研修」が、自由参加となった「リーダーズ研修」では、全国大会のアピールもあり、伊勢崎から大挙50人が参加している。「委員会の垣根を越えて活動を」と、複数の委員会開催日を同日とし、終了後の合同懇親会で交流を深めた。それぞれの活動に手応えは感じたものの「自身の思いを末端にまで伝えるという事は本当に難しい」と改めて感じている。

 板金加工を営む井野板金工業が得意としているのは、大型倉庫や工場の屋根などの施工。最大加圧13トンで板金を折り曲げる油圧ベンダーなどの設備投資で、加工精度や生産性を向上させている。旺盛な受注に対応して本社工場近くに、新たに340坪の第2工場用地を取得。数年後には施工能力を倍増させる。2020年に伊勢崎青年会議所の理事長を務めた二男の伯俊副社長は積算、末弟の専務が現場と営業を担い、自らも現場と営業をこなしつつ全体を統括。大まかな役割分担のもと、兄弟による”3本の矢”経営が会社の強みになっている。

 3年前に先輩から勧められて購入した多肉腫植物の「アガべ」。葉の大きさや形、鋭いラインなどインパクトが強く「棘に魅入られた」と愛で始めた。室内からほどなくビニールハウス(2m×6m)栽培へと移り、時間があれば仕事終了後に1時間は籠る。4角を丸くそろえた名刺も仲間の影響。会社も伊勢崎YGE名刺も角を丸くカットするなど、伝え方のイメージを工夫している。職人気質の堅実な会社経営と物静かな語り口。初対面で個性的なヘアスタイルが先行しても、周囲への思いを伝える繊細さやハートフルな人柄がすぐに伝わってくる。
 地域活性化委員会が担当した、若者の政治参加意識を高めようと5月にスマーク伊勢崎の駐車場で開催した「学生選挙」。5人前後の大学生グループら4組が事前に練り上げた政策テーマを競い合い、4人の市議会議員とパネルディスカッションも行った。地元飲食店が参加する華蔵寺公園広場で10月開催の「いせさきカレーG級グルメコンテスト」は400食を完食。同時開催のキッズフェスティバルがイベントを盛り上げた。

 会員は20歳から40歳までの青年経営者が中心だが、「入会2,3年の若手を委員長に抜擢した。他の4委員会委員長も同様で初めての経験だが、みんな見事に期待に応えてくれた。これからのJC活動を背負っていける人材に」とその成長を手放しで喜んだ。11月末時点の会員は52人だが、事業年度開始の1月時点は43人でスタート。年初はこうした若手が全体の47パーセントを占める、新陳代謝が進む組織構造も背景にある。

 会員は年間を通してさまざまな青少年育成や地域振興事業をボランティアで行っている。伊勢崎JCが行政の委託を受けて45年間続けている「いせさきまつり」はそのひとつ。今年は市民バンド6組を招いた野外ライブコンサートを開いた。2019年の同まつりでも担当委員長としてステージを設けるなど「素人バンドの皆さんに発表の場を」という自身の思いを実現した。そこには高校時代から密かに作曲を手掛け、卒業後には音楽専門学校にも通った過去がある。

 創業社長や二世会員がほとんどという組織の中では、異色のサラーリーマン会員。前橋市内勤務というハンディもある。理事長として、市内外のさまざまな行事や会議、委員会活動に多くの時間や負担を強いられるが、言い訳や愚痴は一切出てこない。「本来なら知ることのない世界。これまでのJC活動で多くの出会いと学び、自身の成長の機会やチャンスをいただいた。このことを後輩たちに伝えたい。地域づくりは次世代に誇れる何かを」と活動への愛着を示す。

 学生時代から憧れているのが、ロックバンド「黒夢」のヴォーカリストでミュージシャンの清春。都内のライブハウスに現在も足を運ぶ。日々の息抜きはJC活動の仲間との語らいで、適度な距離間のコミュニケーション力が持ち味だ。取材は某日の午後7時。仕事で5分遅れの事前連絡を受け、待ち合わせの喫茶店には作業着から着替えたネクタイ姿で現れる。最後の写真撮影後に、テーブルに隠れて気づかなかったが、「実は下は作業着のまま」と茶目っ気たっぷりに明かしてくれた。
 伊勢崎商工会議所青年部(YEG)会長としての任期は3月末で終了するが、来年度は2月開催の第45回日本YEG全国大会で伊勢崎がメイン会場となり、その大会会長を務める。既定の役職を経ると慣例で、2027年度は日本YEGの会長に就任し、全国の活動をけん引することになる。「貴重な舞台を用意していただいた」と仲間と会員OB、その他多くの関係者に感謝する。

全国大会では「かかあ天下」や外国籍の住人が多い群馬の特徴から「女性活躍」「多文化共生」など、今後の日本の課題をキーワードに「示唆に富んだ群馬の現状に触れてもらい、全国から訪れた青年経済人のそれぞれの事業展開、単会の活動に活かして欲しい」と狙いを語る。これまでの開催地は県庁所在地なども多く、「人口21万人の中核市開催の新たな形も見出していきたい」と意気込む。

伊勢崎YEG入会は、青年会議所(JC)の理事長を経て卒業するコロナ禍の2020年。市委託事業の「観光特使ひまわり」やビジネスマッチングの「ワクワクフェス」など、大規模事業の他、街づくりなどに取り組む組織力、現場力に魅了を感じていた。全国大会は道府県連主管が全国を一巡し、2巡目として群馬YEGが主管に。その後、精力的な活動でメイン会場を伊勢崎に誘致した時期。立候補制の大会会長に手を挙げ選挙で選ばれた。

今年度のスローガンは、新たな変化を恐れずチャンスととらえ、変化を楽しみながら挑戦しつづけるという「ENNJOY CHANGE(エンジョイ チェンジ)」を掲げた。新たな試みとして、国際社会とのネットワーク構築の第1歩を踏み出すための国際ビジネス委員会(山本慶委員長)を設けた。昨年12月5日から4日間、ベトナム・ハノイの工業団地視察とベトナム青年企業家協会(VYEA)メンバーと交流している。

「Only One Nakaichi」を掲げる運輸・倉庫業は、保管・輸送・流通加工を一貫提供している。北関東自動車道駒形IC真横に2020年に新設した駒形物流センター。同敷地内に2022年に増設した倉庫には、天井クレーン20トンが2基。重量物クレーン倉庫は伊勢崎、太田にも設けてあり、同社の強みとなっている。資料の電子化から保管・廃棄まで手掛けるアーカイブ事業は7年目。群馬県埋蔵文化調査事業団からも受注するなど、3本目の事業柱に育っている。

日本YEG全国大会決定以降、全国行脚などで多忙なこともあり、最近はコーヒーの摂取量が増えたという。「カミさんに勧められて」と1年前から青汁も。投宿先は疲れをとるため浴槽付ホテルと決めている。15歳の長男は本人の希望もあり、小学生から英国留学中。将来的には自社の海外事業展開も視野に「人脈を広げ、国際的な素養を」と、成長に期待をかけている。

 社会的課題やボランティア活動に取り組む青年会議所(JC)の年間事業には、当初計画にはない不定期事業も発生する。伊勢崎市と桐生市の2区を選挙区とする衆院選、伊勢崎市長選の候補者を招いて開く公開討論会だ。10月27日投開票の今回の衆院選は、開催前提の15日公示日前までの準備期間はわずか2週間ほど。3日〜5日まで福岡でJC全国大会出席も重なっていた。その周知や会場確保、候補者の出席調整など時間不足は明らかだった。

 「やればできたかもしれないが」と思い起こすが、中途半端なままでは事業費投入に見合う成果も見通せない。役員幹部との協議の中では開催を主張するメンバーもいたという。前橋や高崎など県内5区の該当JCの状況も確認し、共同開催の桐生JCとも調整。最終的にはリーダーとして中止を決断した。「投票率を上げる取り組みは他にもあるはず」とも考察。その際の状況を淡々と説明する様子には、事にあたっての力みは感じられない。

 スマーク伊勢崎で5月に開催した「伊勢崎防災体験フェスティバル」は、行政や他団体の協力も得て実施。想定1000人に対して延べ1500人が参加し、子供達には降雨車や起震車で楽しく体験してもらった。同様に想定を上回る来場者を集めたのが、いせさき祭りに呼んだ5人組アイドルでユーチューバーの「リアルピース」。本来は開放している広場を300人に限定し、警備をより厳重にしたことが印象に残ったという。

 2018年に委員長を務めた青少年を育成するi-kids委員会。赤堀せせらぎ公園(現センヨシせせらぎパーク)で子どもたちを引率して100人キャンプを開いた。翌日は波志江沼環境ふれあい公園で、スポンジチャンバラを使ったチーム合戦。目標に向かって仲間と協力することを子供たちに学んでもらった。計画から実施まで例年にない大事業だったが、自身の子ども好きもあって、終了後は「大きな達成感を味わった」と満足そうに語る。

 JC入会2年目では、あまり例がないという群馬ブロックへの出向。県内各地の多くのJC活動を知る、得難い機会となった。以後のJC活動でも多くの仲間との出会いがあった。「高校は高崎だったが、この時期も含めて大学、社会人と約9年間、伊勢崎を離れていたこともあり、その後に出会えたJC仲間がかけがえのない存在に」と振り返る。

 会社は創業60年という、祖父の代から続く段ボール製造業。自動車部品関連を中心にその物流を担っている。「差別化しにくい業界だが、価格競争には陥りたくない。まずは現状維持のなかから」と次のステップを見据える。学生時代のような「海外は今のところ興味がない」ことから、ゴルフを含めた1,2泊程度の国内旅行に目が向いている。最近はJC活動関連に留まっているが、「いい出会いがあれば」と、人生という旅の同伴者を求めている。
 放映中のNHK朝ドラ「虎に翼」で伊藤沙莉さんが身に纏っていた着物が、大正から昭和初期にかけて一世を風靡した伊勢崎銘仙。「可愛い。大胆で目立つデザインと色使い。こんな着物があっていいんだ」。都内の着物好きが集まる会で初めて銘仙を目にした時の衝撃と感動が、現在の活動に繋がっている。3月に開店した、いせさき銘仙・アンティーク着物の「華々HANABANA」は「銘仙のまち伊勢崎プロジェクト」の取り組みの成果ともいえる。

 24歳頃から通い始めた、自由な雰囲気が気に入った着付教室。これを縁に都内の古着屋を巡り、群馬県内で伊勢崎銘仙を扱う店の開業を考えた。仕事の傍ら、週末は東京・原宿の着物古着店でアルバイト。仕入や経営のノウハウを学んだ。高崎市内の古民家を手作りで1年かけて改装し、開店にこぎつけたのは28歳の時。夜間に改装個所に印を付け、週末に鋸や金槌を手にして作業を進めたのは、DIYが得意な交際中の2歳下の夫だった。

 交際4年後の32歳で結婚し、伊勢崎の夫の実家に転居した。店の運営は軌道に乗りつつあったが、移動も考えて7年後に閉店。夫と話し合って共に着物業を営むことを決意し、新たに前橋で物件を探した。紆余曲折を経て2011年に出店したのが「きものリサイクルセンター無二。」だ。育児のために前橋店を任せている夫は、ここに至るまでも仕入れから店舗運営まで献身的にサポート。結婚のためにダンプ運転手から、安定した職を求めて専門学校で修学後、病院の栄養士の勤務経験も持つ。

 「銘仙のまち伊勢崎プロジェクト」は、いせさき楽市などの事業と連携し、関連展示や小物販売などを通して銘仙の魅力を伝え、新たな価値創造でまちの活性化を促すことが狙い。2022年7月の伊勢崎市主催の「まちなか宝探しのワークショップ」の事業企画で、これまでの取り組みが優秀プランに選ばれた。まずは個人の思いの充実をとグループの応援を受け、以後の関連イベントに取り組む中、本町のSOAビル西側の角地テナントビル1階に「華々」はオープンした。

 同店は単なる街中の銘仙着物ショップに留まらず、銘仙関連の情報発信基地、関係者だけでなく銘仙に感心を寄せる老若男女が集うサロンを目指している。「銘仙をもっと多くの人に知ってもらいたい」。そんな思いを込めて、店内の中央には大きな丸テーブルが置いてある。銘仙の魅力発信のため、今秋には店の2階を借り、関連イベントの開催なども計画している。

 店舗運営の他、関連イベント参加や月に3回程度は足を運ぶ都内への買い付けで多忙を極めている。その合間を縫って休日の小学5年の二男の少年野球の付き添いが、もっかの癒し。ひたすら好きなことに邁進できたのは、常に傍らで支えてくれる存在があったから。朝ドラ「虎に翼」で日本人初の女性弁護士となる妻に「好きなことをしていいんだよ」と妻を応援しつづけた夫「雄三さんみたいですね」。取材の終わりに、記者がそう水を向けると「あ〜本当にそうですね」と、あらためて感謝の表情を浮かべた。(廣瀬昭夫)
 子どもの居場所づくりや貧困対策として、子どもたちに無料か低額で食事を提供する「子ども食堂」。関係団体の直近調査(速報値)では、全国に9131か所と増加している。とはいえ運営形態はさまざま。店舗を確保し、子供には無料で毎日(平日、昼のみ)食事を提供している運営団体は少ない。広瀬小学校の西側、平屋建てでオレンジ色の下地に白抜きされた看板が際立つ店舗「子ども食堂 てんとうむし」は、そのひとつだ。

 2年前に開設したこの食堂は、子どもの居場所確保や孤食とフードロス削減のコミュニティの色合いが強いが、来店が困難だったり経済的困窮家庭の子供には個別に対応している。もともと大学時代からフードロスには強い関心を持っていた。やるべきことが明確になったのは、母親として2人の子育てに苦労したことが大きい。この2つが融合した。二男が小学校に入学し、少し手がかからなくなったのがタイミングとなった。この間、前橋の友人の子ども食堂を手伝ったことも決断を促した。

 「子育てに余裕がなく、自分の子はなかなか誉められなかった。向き合ってしっかり話を聞くことも少なかった」。その反省から来店する子どもたちへは、まず褒めることから始める。その上で気がついたことは注意し、必要に応じて叱る。特に挨拶は親よりもうるさく、時には喧嘩もする。だからこそ「信頼関係が築ける」と言葉に力がこもる。ただ、こうした人間関係が定着したのはここ1年のこと。「それまでは毎日が必至で、一番大変だった」と苦労を滲ませる。

 傷や不揃いで廃棄する野菜などは農家から。廃棄する前の食品や日用品は企業、贈答品や消費しきれない食品、日用品は一般家庭からの寄付で賄っている。これまでに築いた人脈に加えて、毎日の新たな出会いの中で、お手伝いなども含めて志に共感した協力者は増え続けている。留守をしている店の玄関前に、知らない人からの野菜が届けられたりもする。インスタグラムでは日々提供される寄付を報告し、感謝を伝えている。大人1食800円のランチ収入も運営を支えている。

 境、東、赤堀地区に、同様の子ども食堂開設が次の目標。「朝から夜の7時8時まで開きたい」の思いも強い。資金、人材も課題となるが「食堂で私の不在を知ると、寄ってこなくなる子どもが」と、直面する悩みも吐露する。取材は某日の午後2時から3時までの約1時間。この間に数人の子供たちが入れ代わり立ち代わり店を訪ずれ、店内で談笑していく。ハンドルとホイールを入れ替えた自転車を見てもらおうと駆け付けた子もいた。

 大学時代は飲食店や学習塾、吹奏楽指導とアルバイトを掛け持ち。当時のホリエモン(堀江貴文さん)に刺激を受けて始めた株式投資で毎日、日経新聞を読み込んだ。後の起業や子ども食堂の活動に繋がった。現在は月に一度、前橋へ写経に通い、心を整えている。子どもの送り迎えで一緒に通い始めたボクシング。釣りのため1級小型船舶操縦免許取得は2年前。大型二輪免許取得が2か月前。旺盛な行動力が人との出会いの連鎖を生み、子ども食堂の支援の輪を広げている。(廣瀬昭夫)
 1  2  3  4  5  6