【ピープル】伊勢崎市内外の各分野で活躍する、市民を紹介します。各種団体のトップに、業界の現状と今後を聞き、まちづくりに取り組む市民も取り上げます。情報はinfo@press-isesaki.com
 コロナ禍で日常が戻り始める中、行政区や各団体の式典やイベントに議長として招かれた。「『開催していただき、ありがとうございます』。冒頭にこうした感謝の言葉を述べる機会が多かった」と議長一年を振り返る。市議会代表挨拶を重ねる中「それぞれに地域の色が出ている」と改めて気づかされた。加えて地域ごとの産業祭などでは、香しい食べ物の匂いの違いを再認識。挨拶ではそれらの地域の特色に触れ、会場を盛り上げた。

 市議会と議員の活動原則、市議会の機能強化などを明文化した市議会最高規範となる「伊勢崎市議会基本条例」(全9章27条)が昨年5月に施行された。運用開始から1年を迎えるが、制定にあたっては伊勢崎クラブ内で若手中心メンバーとして意見を交わし、その調整、集約に関わった。制定後は「やっと終わった」という達成感とともに、様々な考え方や意見のぶつかりあいは「楽しかった」と思い起こす。

 条例前文には臂泰雄市長も政策に掲げる「共生社会の推進」を盛り込み、「議論を尽くす・市民に開かれた・専門性のある議会」など目指して「チーム議会」で取り組むことを表明している。とはいえ「細部はまだ詰めきれていない部分もある」として「条例検証及び見直し」条項を設けた。今後運用を図る中で、条例理念の整合性を図りながら毎年見直していく。近くその会合を始めるという。

 市町村合併後の伊勢崎市議会初代議長(2015年)が叔父の新藤晄旦氏。「他の立候補者の選挙も手伝うなど身近に政治に触れる機会や市政に素朴な疑問を感じた」ことが立候補のきっかけだった。4期目のベテランとなった今では、決算特別委員長を務めたこともあり、予算案・決算は「安全安心、災害、医療、福祉、教育など、関心や気がかりなことは1円たりとも疎かにしない」姿勢で事業や数字をチェックしている。

 保育士として9年間、保育園に勤務していた。朝から夜8時近くまで常に子供と一緒だった。「座って靴下を履いていた子が、立って履けるようになるのは、その時しかわからない。そうした成長を見ている楽しさ、それを親に伝えて喜ぶ姿を見ることもうれしかった」。議員活動の傍ら時間が空くと、今でも副代表を務めている2か所の児童クラブに足を運び、子供たちの相手をする。多忙な時間の中、自分自身を癒す時間にもなっている。
 
 伊勢崎の地域経済を支えているのは、農商工業のバランスの取れた産業構造といわれている。その中でも製造業と建設業のウエートが高く「この2本柱がしっかりしていれば」と基幹産業の重要性を説く。コロナで疲弊した飲食店と関連大型施設を憂慮し、さまざまな業界の影響にもふれた。空き家、農地と開発、駅周辺整備など、地域の経済状況についても、金融マンとして培った的確な見通しを語る。「企業を育て、地域を伸ばす」商工会議所として、国や地方行政との連携強化の必要性も改めて訴えた。
 
 「会議所対象事業所が5345社に対して入会は2125社。加入率は39・8%」。決して満足はしていない、現状の数字がすんなり口をついて出る。「43人は寂しい」と女性部会は対象を広げて加入を促す。全体として会員増強は「『一人ぐらいは何とか』と思えるように会員の意識を高めたい」。期待をかけているのは会員数238人で、県内最大規模を誇る青年部だ。「紹介者は委員会でも一緒に活動し、面倒みながら新会員の居場所をつくって欲しい」と注文する。
 
 建設地をどこにするかで長年の懸案となっている、老朽化した未耐震の会議所会館建て替え事業。市が取り組む、伊勢崎織物協同組合の所有地を活用した「中心街にぎわい創出拠点の検討委員会」などの動向も視野に「会員、行政や関係者など周囲の声に耳を傾け、地域の活性化にも貢献する事業に」と慎重に語る。現地建て替え案も選択肢のひとつだが、いずれにしても現会館は解体する方向。解体費の確認は急ぎたいという。

 金融業界は取引のオンライン化、デジタルサービス移行が進んでいるが、あかぎ信組の大手行にない強みとして「地元から離れない」地域密着、対面営業を強調する。経営者の高齢化・後継者難の「事業継続」に、大手と提携してM&A(企業買収・合併)を模索、提案している。組合員組織の異業種交流会「あかぎクラブ」内の若手組織「健山会」(会員680人)は創設時から関わり、会議所青年部と同様に大きな期待をかけている。

 農家の長男で農業高校に進学したが、地域は区画整理事業などで農業政策の転換時期に重なった。健康管理も兼ねて休日は、560平方mの畑で時にはトラクターも駆り、数種類の野菜作りを楽しんでいる。中学・高校時代は野球部に所属。硬式から軟式に戻った社会人で肩を痛めてグランドから足が遠ざかった。中・高時代の投打の定位置の質問に「ピッチャーで4番」に続けて、さりげなく「キャプテン」を加えた。(廣瀬昭夫)
 アイオーしんきん伊勢崎アリーナ(市民体育館)2階のブース展示によるビジネスマッチング。南側のグランドではグルメとステージイベントを同時開催の「ワクワクフェス」を11月19日に開いた。講演ゲストは、その3日後に”31歳差婚”を発表して話題になった極楽とんぼの山本圭一さん(相手は元AKB48の西野末姫さん)。初の大型イベントは目標を上回る1万1500人を集めた。

 青年部恒例事業の「観光大使ミスひまわり」。応募資格が性別、国籍にとらわれない「観光特使ひまわり」への大転換は、内外で注目を集めた。副会長時代に提案し、仲間と準備を進め、会長を任される今年度スタート実施に焦点を合わせてきた。多様性の時代に加えて人口減少の中、応募者の減少も背景にある。「ひまわりの事業継続を考えた。ビジネスの考え方と同じ」と当然の取り組みと捉える。

 2025年度に日本商工会議所青年部全国大会が伊勢崎で開かれる。ここ数年の歴代会長は対外交渉など準備に追われた。今年の10月には、その同青年部役員全国大会が伊勢崎で開かれ、500人が参集した。「恒例事業は出来て当たり前」と、こうした節目や新たな事業実施に会長として携われたことを素直に喜んだ。変化や改革の時にこそ、自分ならやり遂げることを確信し、果敢に挑んできた。

 今年度のスローガンは「〜目的に向かってひたすら前進〜『勇往邁進』」を掲げた。とはいえ青年部活動は「事業そのものが目的ではない。事業で社会や地域に貢献すると同時に、会員一人々々の成長にある」。バトンリレーで繋いだ各世代の会長らの手弁当による「使命感と誇り」が底辺にあることも強調。「この頑張りを周囲や市民の皆さんに、もう少し知って欲しい」という思いも訴える。

 「塗って、塗って、塗りまくった」と豪語する、塗装職人時代。塗料は国内唯一の対候性試験機関、日本ウエザリングテストセンターの沖縄県宮古島の暴露試験場でテスト。塗装会社として技術と商品には絶対の自信を持っている。さらなる差別化が社員の人間力。「だから圧倒的に選ばれている」と胸を張る。何のために働くのかに答える経営理念に「幸せの追求」、グランドデザインに青年部スローガンと同じ「勇往邁進」を掲げている。

 会社は伊勢崎市内の本店の他、リフォームスタジオ、埼玉県熊谷市と上尾市内の4店舗体制で年商7億円の規模。10年前に下請けから一般住宅などの直接受注への「ビジネスモデルの転換」が飛躍の始まり。母子家庭で育ったハングリー精神も根底にある。様々な指導者の塾生などとして「35歳から40歳までは猛烈に勉強した」。このためゴルフやスノボ、バイクなど本格的な遊びはここ数年のこと。幸せを追求してもらう「社員の手前もある」と苦笑いする。(廣瀬昭夫)

第33代田沼健太郎会長  第32代畑裕樹会長  第31代菊池潤一会長
 「明るい豊かな社会の実現」を目指して様々な活動に取り組む青年経済団体、公益社団法人日本青年会議所(JC、中島土会頭)。来年1年間の次期会頭就任で最近、麻生太郎自民党副総裁長男、麻生商事の麻生将豊社長(福岡県飯塚市の飯塚青年会議所顧問/前理事長)が注目を集めた。といっても単会JCの普段の取り組みは、地域の地道な社会活動が中心だ。
    
 伊勢崎JCの今年度対外事業活動は、3月開催の外国籍住民との共生意識を高める協働ランタンづくり(ランタンリバー 華蔵寺公園)、6月の親子の絆を深める謎解き宝探しゲーム(華蔵寺公園)、7月の尾瀬子供キャンプファイヤーなどを実施した。コロナ禍だったが、十分な感染対策を施して現地開催にこだわった。市民参加によるチーム対抗の 3on3バスケ(10月15日、第2市民体育館)とフットサル(同月16日 市陸上競技場)は今年度を締めくくる最後の事業となる。

 3年ぶりのいせさきまつりは初参加の新入会員もおり、知っているはずの現役メンバーも含め、設営準備は少しとまどったという。2年間はコロナ禍で本格的な活動が制限されていたため「この間に入会したメンバーには本格的な活動の第一歩にも」と安堵する。12人(10月3日現在)の新入会員のほとんどは20代。2世経営者が少なくない組織の中で、その半数以上が起業・ベンチャー型と、会員の若返りと多様化が進む。

 来年度に創立60周年を迎える。8月例会では40周年時の先輩を招き、歴史や記念ミュージカルなどの事業などについて学び、来年に備えた。毎年卒業生を送り出す連綿と続く歴史を振り返り「コロナ禍にあってもJCだからこそできる取り組みを」模索し、JC活動に全精力を傾けてきた。だから卒業後は「会社100パーセントに切り替える」と決めている。

 その事業は創業が1923年(大正12年)の印刷業では市内大手老舗。とはいえ取り巻く環境は激変しており、広告代理業や印刷後加工分野に軸足を移す"脱印刷"に大きく舵を切りつつある。この間、コロナ禍で受注が激減するなかで「JC仲間や先輩シニアから多くの声をかけてもらった」と感謝する。事業転換は「JCに在籍していればこそ」と、組織で学んだ上での大きな決断を振り返る。

 「オンオフはきっちり分けている」ので、ゴルフや思い立ってふらっと出かけるドライブなどで気分転換を図っている。高校、大学時代はサイドスローの投手だった。大学3年時、6連敗で入れ替え戦が視野に入る首都リーグの筑波大戦。投手としてはチーム2番手だったが、先発起用でマウンドに立ち完投した。それが思い出に残る数少ない勝利のひとつ。両親が神奈川県の平塚球場まで群馬から応援に駆けつけてくれた。ウイニングボールは感謝を込めて母に手渡した。(廣瀬昭夫)
 同人誌「伊勢崎文学」(年1回発行)では表紙絵も任されている。最新号のタイトル「踊り明かそう」(2022年第42号)では、月下で華麗にワルツを踊る女性たちをシャガールの抽象画風に描いている。数年前までは木造のJR伊勢崎駅舎、レンガ塀、銭湯など、伊勢崎市内の消えゆく建物が続いた。気さくさと絵心を見込まれ、同人誌に係わるようになったのは、2001年の第21号から。ほどなく会員として随想などの投稿も始まり、次第に「のめり込んでいった」と控えめに語る。

 最新号の小説「加代さんとゆきさん」は戦前が舞台。師走を控えた気もそぞろなある日。久しぶりの顔見せに姉を訪ねた妹。交わす、こてこての上州弁(118項目の標準語言い換え注釈付)で、当時の暮らしぶりや世相をほのぼのと活写した。前号の「バックホーム」は終戦直後の甲子園出場をかけた高校野球が舞台。逆転負けを喫した捕手の痛恨の落球を、還暦を迎えた主人公がほろ苦く思い起こす。スリリングな試合描写には、思わず惹き込まれる。

 「文学は素人で他に適任者はいたが、最年長ということでお鉢が回ってきた」同代表。投稿作品の批評会では先輩、後輩関係なく「喧嘩するくらい」の激論を交わすこともしばしば。当初は飲み会も兼ねての批評会だったので、時には荒れることも。代表となって提案したのは、批評会と飲み会(食事会)の分離開催だ。行政組織で培った「互いに尊重しあい、和をもって」の信条をここでも活かしている。

 まだ終戦の混乱が続く1951年に伊勢崎市役所に入った。研修と称して、いきなり滞納者の差し押さえの赤紙張りに駆り出された。高校卒業の同期とは、数か月遅れの臨時採用からのスタートだった。その後はバランスのとれた行政手腕で主要ポストを歴任。高校の美術部以後も絵画研究会などに所属し、絵筆を握り続けてきたことで重宝がられた。市主催のイベントポスター制作など、律儀に勤務時間外で対応した。

 「本にまとめたら」と奨められ、自身も気にいっている初期の連作随想「伊勢崎は遠くになりにけり」。失われてしまった郷土の街並みや人情、だるま市などの風物に郷愁を込めた。連作の続きともいえるのが、拳銃発砲事件から紐といた前号の「伊勢崎の本町通り」、最新号で自宅もその対象になっている「長すぎた駅前区画整理」。行政に忖度しない、元行政マンの地元に注ぐ視線は、人一倍、郷土愛にあふれている。(廣瀬昭夫)

同人誌「伊勢崎文学」代表 中澤響二さん
 伊勢崎商工会議所青年部(YEG)が創立40周年を迎えた。伊勢崎市文化会館で1月22日、コロナ禍により、招く関係者を制限して記念式典を開く。参加できない関係者のためにはYouTube配信を行う。元東北楽天ゴールデンイーグルス監督の大久保博元さんが「私の野球人生〜野球から学んだ経営組織運営〜」をテーマに講演。さらに記念事業として、将来を見据えて策定を進めてきた、中期ビジョンを発表する。

 記念式典では、もうひとつ、数年前から取り組んでいる大きな動きにもふれる。群馬県内で2025年に開かれる日本商工会議所青年部主催の全国大会だ。その開催地となれば、地域の経済波及効果、認知度の高まりが期待される。そこで伊勢崎YEGは、県内でいち早く立候補した。プレゼンを重ねる中で「それなりの手ごたえも」と、引き続き着実な誘致活動をアピールする。

 恒例3大事業のうち「いせさきまつり」「もんじゃ祭り」は、昨年に続き中止を余儀なくされたものの「ミスひまわりコンテスト」は再開した。YouTube配信のファイナリスト10人を、一般参加者も加えたオンライン審査に切り替えるなど、コロナ禍で事業の見直しも図り、様々な手法を探った。組織人事では8委員会の委員長に、2人の女性を含む、若手を抜擢している。

 子供たちには「野菜の収穫・染物」「手作りイルミネーション」体験会を開いた。伊勢崎市に40冊を寄贈した「渋沢栄一から学ぶ絵本『おかねってなぁに?』(渋澤健監修 作:岡田さえ 日本商工会議所青年部制作)」の渋沢は、親団体の始祖でもある。「Plus YEG 〜繋がる絆、紡ぐ想い〜」をスローガンに掲げ、コロナ禍という逆境の中でも「仲間とともにプラス思考で可能性を探りながら、未来に想いを繋げていきたい」と前を向く。

 会社経営では「食」で時代の変化とニーズを読み、事業領域と地域を県内外に開拓、拡大してきた。入社当時は建設現場宿舎の食事提供・管理。四国や青森に足を運んだこともあるが、期間限定がネック。安定市場を求めて現在は、学生・運動部寮、社員食堂や介護・高齢者施設などに、献立作成から食材配達など求めに応じて様々なサービスを提供している。その延長で、MEGAドン・キホーテUNY伊勢崎店(三室町)内レストラン「まんぷく亭」の営業も、開発事業の一環として取り組んだ。

 「食で笑顔と命をつなぐ」が会社のモットー。自身は会話で相手を笑顔にさせる。その笑顔で高校時代に出会った同級生と、3年間の太平洋をまたぐ遠距離交際を経て、つかず離れずの大恋愛を実らせた。出会いから10年目の大安の日に、東京ディズニーランドのシンボル、シンデレラ城前で婚約指輪を手にプロポーズ。中学3年の一人娘と3人の毎年恒例の家族旅行では、多い時は3連泊し、ディズニーシーも含めた、愛と夢と冒険に満ちた、おとぎの国を楽しんでいる。(廣瀬昭夫)
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