任期満了に伴う伊勢崎市長選(来年1月10日告示、17日投開票)は、12年ぶりの選挙戦が展開される。五十嵐清隆現市長が支援を表明し、政策継続をベースに改革も訴える元自民党県議の臂泰雄氏(67歳 豊城町)、市政の刷新を掲げる36歳の4児ママで市議の栗原真耶氏(境上武士)、政治は未経験ながら「教育と政治は同じ」の理念の基に出馬する異色の学習塾経営者、蓬沢博亮氏(38歳 太田町)。これまで市政に無関心な市民にも、興味を喚起させる政策論争が期待される。政策を中心に3立候補者に聞いた。
第3回目は臂泰雄氏。

― 五十嵐市長が市長続投表明後、体調不良による出馬見合わせ、この間に新人立候補と、あわただしい動きをみせました。立候補に至るまでの心境は。

 県議としてこれからも五十嵐市政を支えようと考えていた最中の出馬辞退。市議・県議としての活動を通して市政の課題も把握し、今後に必要なことも分かっており、これまでのように県政のパイプ役として新市長を支えていくことも考えたが、自分がやってきたことを継続しながら、やり残したこと、もっとやれたことも振り返った。周囲の支援と協力の中、この大きな時代の波のなかで自分がやらなければ、の思いが決断を促した。

― 12年間の五十嵐市政をどのように評価しますか。その上での取り組み方針は。

 財政運営は手堅く、個別事業なども含めて基本的にやるべきことは、きちっと行ってきたと思う。一方、市民への発信力、市民活動への支援、市町村合併後の新市建設計画に基づく進捗などは市民の評価が分かれている。全国平均より高い市GDPと生産年齢人口に対して所得が低い、少ないという課題も見えている。政治信条の「共に生きる」という共生社会の実現に向けて行政の継続性を維持しつつ、課題を正面から捉えて事業を推進するために組織の見直しなどを検討している。

― 行政運営で具体的に検討しているのは。

 結論まで関わる「総合窓口」や市民の「声を聴く場」設置を考えている。支所のあり方を見直し、行政区の適正規模再編、副市長に国の人材登用、課題解決のためには外部人材も活用したい。補助金・助成金を見直し、施設・事業のスクラップ&ビルド化も行う。その他、農政部の新設など部局の一部再編を検討している。

― 産業、教育、まちづくり、インフラ整備も各種強化、充実策を打ち出していますが。

 誘致企業と市内企業、様々な業種間のマッチングによる連携の強化、工業団地内には集客施設を新設、観光物産部門で専門性を持つ職員の育成、配置を図りたい。学校では生きる力を学べる環境整備、実効性のある子供の貧困対策に取り組む。図書館の施設整備に合わせ、文化財や美術品などの展示施設、公共的複合施設整備、中心市街地活性化にまちづくり会社設置、JR伊勢崎駅から華蔵寺公園までの施設整備も検討したい。

― 環境カウンセラーとして環境問題への造詣が深く、政策も一歩踏み込んでいますね。

 国際社会共通の目標SDGs(持続可能な開発目標)を支援し、環境の街 日本一を目指していく。環境の街つくり条例、水環境・雨水利用条例の制定、温暖化防止係・水と緑の係設置、他にさまざまな環境整備推進や活動を支援したい。ごみ減量化を目指した処理方式の見直しと個別収集も考えている。市民の意識改革も求めていきたい。

― コロナ禍の市長選挙となりました。

 人が集まる集会などはできるだけ自粛することになる。有権者に知ってもらい、取り組みなどを伝える手段としてフェイスブック(FB)を11月に開設した。ブログもしばらく休んでいたものを今は一日置きのペースで更新している。2,3分だが、数パターンのプロモーションビデオを製作した。多くの若い人たちにも思いを伝えていきたい。

【取材メモ】先進的取組みの他自治体首長、東北復興と地方創生の課題に取り組むNPO法人代表などの特別寄稿も掲載した、政策提言選挙用リーフレット。積極的に情報を集め、多くの人の意見に耳を傾ける、氏の政治姿勢を物語る印刷物だが「分かりにくい」といった支援者の声にも触れ、思いを伝えることの難しさを反省する。
市民と行政が一体的に取り組む奈良県生駒市の小柴雅史市長が著した「『自治体3.0』」のまちづくり」。最近の印象に残った1冊として「市職員にも読んで欲しい」と感動を語った。(2020年12月23日、廣瀬昭夫)

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「この街ピープル」(いせさき新聞2004年〜2018年)の過去記事。
2004年〜11年 2012年〜13年 2014年〜17年 2018年1月〜8月
 任期満了に伴う伊勢崎市長選(来年1月10日告示、17日投開票)は、12年ぶりの選挙戦が展開される。五十嵐清隆現市長が支援を表明し、政策継続をベースに改革も訴える元自民党県議の臂泰雄氏(67歳 豊城町)、市政の刷新を掲げる36歳の4児母親で市議の栗原真耶氏(境上武士)、政治は未経験ながら「教育と政治は同じ」の理念の基に出馬する異色の学習塾経営者、蓬沢博亮氏(38歳 太田町)。これまで市政に無関心な市民にも、興味を喚起させる政策論争が期待される。政策を中心に3立候補者に聞いた。
第2回目は栗原真耶氏。

 ― 市議会議員立候補以前から政治には関心を持っていたのですか。

栗原 政治家に良いイメージがなく、当時は興味も関心も全くなかった。結婚して夫の住む伊勢崎に来た時、友達が欲しくてママ友を募り、さまざまなイベントを開いたりしていた。最終目標のグリーンドーム開催で、達成感のあとの空虚な思いにかられている時に、市議補選の話が出た。みんなで地域を造っていくのが議員の仕事と聞き「何かすごく楽しそう」が始まり。専門用語を覚え、家計と桁違いの予算額などに慣れるまで必死だった。

 ― 市政の現状と市長選に立候補するという決断までの経緯は。

栗原 子育てや高齢者の困っている実態がわかってくるにつけ、一議員ではどうにもならないもどかしさを感じていた。今年に入ってのコロナ渦で、その対応力とスピード感の欠如、情報発信不足など、市民の不安の声を聞く機会が増えた。「トップに立たないと今の体制は変えられない」という思いが、春ごろからふつふつと湧いていた。問題点のひとつは、市政に対する市民の無関心だと思う。どんなに素晴らしいビジョンを掲げても振り向いてもらえない。何より市政に興味、関心を持ってもらうことが必要だ。

― 市政への関心を高めてもらうためにどのような取り組みを。

栗原 Lineアプリなどのコミュニケーションツールで、市や市長を身近に感じてもらえるようにする。21万市民に向けて力を注ぎたいのは、各行政区、各団体、各世代別との対話集会開催だ。私自身が皆さんの集まりに、積極的に足を運ぶつもり。そのためには常に分かりやすい情報発信が必要で、広報体制ひとつとっても見直したい。逆に市民の小さな困ったが届くような環境と、速やかに対応できる役所づくりが急務と感じている。

―4児の母親として、子育て政策には当事者の声が反映されそうですね。

栗原 ゆとりある子育てのために、子育て世代包括支援センターには、メンタルもサポートするカウンセラーの配置など機能の充実と、子育て世代に加えて周囲や前後の世代でも支えあう「子育てシェアシステム」構築を考えている。旧福島病院跡地に計画している新保健センターは複合化したい。新会議所会館を計画している伊勢崎商工会議所と連携し、中心街の活性化を促していくためのひとつの案として、複合化も提案してみたい。

― 先の見えないコロナ禍ですが。

栗原 今最も大切なことは市民の皆さんの不安を少しでも解消すること。私なら自ら積極的な記者会見、情報発信に努めたい。休校・休園時の対策、市役所予防・対応マニュアル作成、市民や企業への各種支援強化を打ち出したい。財政難の中で無駄を省き、「稼ぐ伊勢崎市」にするため、1期4年ごとの2000万円の市長退職金を廃止し、それをさまざま支援に役立てたい。トップセールスで企業誘致や観光客増加を図りたい。

― どんな市長像を描いていますか。

栗原 市民のための市長になりたい。市長は特定の組織や一部の人たちで、調整してつくられるものではない。自分のいろいろな考えに対して「きれいごと」と一笑に付されたこともあるが、そのきれいごとを実現するのが政治だ。おかしいと思うことは、大きな声で「おかしい」と発言し続けたい。私がやらずに誰がやる、今やらずにいつやる!そんな思いで立候補した。

【取材メモ】実家は飲食店経営。店を手伝う中、接客で天性のコミュニケーション力が磨かれた。同世代だけでなく、初対面のどんな世代にも懐深く飛び込める人懐こさが強み。
 伊勢崎に遊びに来ていた時、その人懐こさで一学年下のイケメン夫(当時)を“逆ナン”。「子供の迎えを引き受けてくれる」夫、隣家の夫の両親やママ友などにも支えられて子育て、議員活動を続けてきた。多忙な現在、ささやかな楽しみは夫が好きで一緒に出かけるラーメン店巡り。(2020年12月18日 廣瀬昭夫)

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「この街ピープル」(いせさき新聞2004年〜2018年)の過去記事。
2004年〜11年 2012年〜13年 2014年〜17年 2018年1月〜8月
 任期満了に伴う伊勢崎市長選(来年1月10日告示、17日投開票)は、12年ぶりの選挙戦が展開される。五十嵐清隆現市長が支援を表明し、政策継続をベースに改革も訴える元自民党県議の臂泰雄氏(67歳 豊城町)、市政の刷新を掲げる36歳の4児ママで市議の栗原真耶氏(境上武士)、政治は未経験ながら「教育と政治は同じ」の理念の基に出馬する異色の学習塾経営者、蓬沢博亮氏(38歳 太田町)。これまで市政に無関心な市民にも、興味を喚起させる政策論争が期待される。政策を中心に3立候補者に聞いた。
第1回目は蓬沢博亮氏。

― 市長選立候補に至る理由と経緯を。

蓬沢 最終的に出馬を決めたのは11月上旬。これまでの市長選の投票率の低さや2回続けて無投票できたことを市民が不満に感じないこと。政治に変化を期待した。失敗を許容し、何回でもチャレンジできる社会を、教育者として政策で実現できる、と考えたことが大きい。再チャレンジには失敗から学んだ改善が前提だ。大まかな方向性は示すが、市職員や市議にはプロとして任せることは任せ、失敗したら私が責任を取る。そんな新しいリーダー像を示したい。

― 教育の理念を政治に活かすということですか。

蓬沢 教育というのは何かあったときに時に備えるもので、何かあった時では遅い。政治も同じだと思う。実は2年前の立憲民主党の公募に応募し、「教育者と政治家の仕事は同じ」と提言した。両者の大多数が目指しているのは「支援側にとって」のより良い未来。そこに差別の温存、人権軽視、恣意的なルールの運用が見られる。弱い立場で声を出せない人々の声を聴き、他者に不利に働く既得権益を無くし、公平・公正な社会を創造したい。

― その理念実現のための具体的施策は。

蓬沢 学校の部活を全世代が集える交流の場とする“全世代部活”の実現を目指したい。例えば専門性を持たない教員が部活顧問するのではなく、卒業生など先輩世代が担い、スポーツ・文化活動の地域総合開催で、上下世代との交流も深めてもらう。生徒数が地域で偏重している学校を統廃合し、廃校校舎を全世代の交流・学びの場にも活用したい。夜間中学もひとつの選択肢だ。地元企業の応援も募って運営する、江戸時代の“藩校”的なイメージだ。

― 再チャレンジを許容し、誰もが生きやすい人間関係のあり方にも触れています。

蓬沢 性別や年齢、婚姻関係などにとらわれない新たなパートナーシップ制度の創設を考えている。一方、一人で生きることに負い目を感じさせるのではなく、孤独も尊重し「“ボッチ”もよし」のムードも醸成したい。

― 観光分野でもさまざまな施策を提言してますね。

蓬沢 三尺玉も打ち上げられる利根川河川敷を利用した境の花火大会の復活、世界遺産登録の田島弥平旧宅なども含めた周辺地域の“養蚕テーマパーク化”、QRコードを張り付けた多言語看板設置、清掃リサイクルセンター21の敷地に温泉プール設置や他運動施設を整備する“スポーツテーマ化”、市内各所の公共施設内の無料Wi-Fiスポットの充実などを考えている。

― コロナ禍の選挙戦。どのように戦いますか。

蓬沢 メディアの皆さんへのお願いです。小規模でもいいから密を避け、立候補者、高校生、記者の皆さん、市議会議員などが参加する、座談会や討論会のセッティングお願いしたい。

― これまでのキャリアと政治未経験での市長選立候補は一見、無謀とも思えますが。

蓬沢 社会の未来を創る、という点では教育と政治のスキルは同じ。やりたいから出る、ということで他人に犠牲を強いるのは本意ではない。困っている人を支えることができると思うから出る。政治に関心がないのは困ってないからだ。ただ本当の声を救い上げきれていない部分もあるはず。私が出ることで、こんな面白いやつがいるんだ、いろいろな生き方があるんだ、と市民に思ってもらえるなら本望だ。

【取材メモ】もともとは教員志望で資格は取得したものの、「大学では教える技術を学べなかった」として、スキル習得のため学習塾業界に。保育士資格、日本語能力検定試験合格。現在は建築物環境衛生管理技術者、中小企業診断士に挑むなど、自らもさまざまな再チャレンジを実践している。
東日本大震災時に現地ボランティア参加。この時、生きる上での清掃スキルの必要性を痛感した。学習塾経営の傍らに営む「そうじ部」に活かされている。好きなコミックでは、ネットアプリで読む「最果てのパラディン」を挙げた。(2021年12月16日 廣瀬昭夫)

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「この街ピープル」(いせさき新聞2004年〜2018年)の過去記事。
2004年〜11年 2012年〜13年 2014年〜17年 2018年1月〜8月
【写真】伊勢崎市の情報発信手段(市ホームページから作成)

組織的に迅速な情報発信体制の強化を図る
五十嵐清隆 伊勢崎市長に聞く2020【3】

 ― 東京オリンピック・パラリンピック開催が控えています。伊勢崎市の障害者支援(一般・スポーツ分野)の取り組みを教えて下さい。

五十嵐市長 障害者総合支援法における地域生活支援事業として、現在実施しているスポーツ・レクリエーション活動を引き続き継続していく。東京オリンピック・パラリンピックの開催が、障害の有無や年齢などに関わりなく、お互いに人格と個性を尊重し合う、共生社会の実現の契機になることを期待している。

― 市政情報の発信手段として広報誌やホームページに加え、フェイスブックやツイッター、ユーチューブ動画などの各種ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)、メールサービスなどにも力が注がれています。現状と今後の取り組み方針は。

五十嵐市長 本市では2014年6月からフェイスブックとツイッターの運用を始めている。その前年の8月から開始したのがユーチューブ。市の概要や世界遺産、暮らしや産業、観光などの紹介動画の他、慶応大学との協働動画、各種イベント動画などを楽しんでいただいている。
いせさき情報メールは、さらに先行して2011年4月からスタートしている。これはあらかじめ登録いただいた携帯電話に、いつでもどこでも24時間、情報を自動配信するサービスだ。平常時の活用の他、防犯や災害時の情報発信にも役立てている。それぞれのフォロワー数も年々増加しており、その充実を図っていきたい。今後もSNSを通じた情報発信の拡散性、速報性を活かし、より多くの市民に市政情報を迅速に届けたい。

― 昨年10月の台風19号では避難勧告発令、避難所不足など、市民にとっては予想しなかった対応を迫られました。その時の教訓と今後の避難所対策や災害情報発信などの対応について教えて下さい。

五十嵐市長 避難所対策については校舎の開放が遅れて混乱した避難所があった。今後は施設管理者と自主防災組織から現場での協力を得ることで、校舎開放などを速やかに行い、スムーズな避難者受入を行いたい。同時に避難該当地域における全ての指定避難所に加え、周辺の指定避難所も開放し、避難者の分散と収容人数の確保も図っていく。避難所の運営については、マニュアルの見直しを行う。自主防災組織や避難者の協力を得て対応したい。
 災害時の情報発信には先にふれた市ホームページ、ツイッター、フェイスブック、いせさき情報メールに適時、台風や河川水位情報を発信していく。そのために組織的に情報発信体制の強化を図っていきたい。(2020年3月13日)

伊勢崎市ツイッター
伊勢崎市フェイスブック
伊勢崎市の多様な紹介動画


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「1面ニュース記事」(いせさき新聞2004年〜2018年)の過去記事。
2004年〜11年 2012年〜13年 2014年〜17年 2018年1月〜8月
【写真】再開発が進む中心市街地に残る、まとまった広さの福島病院跡地

民間活力導入も検討 福島病院跡地活用
五十嵐清隆 伊勢崎市長に聞く2020【2】

― さまざまな施策の計画策定にあたり、市民の声を聞き、要望を取り入れるパブリックコメント(意見公募手続)が数多く実施されています。これまでの施策のパブリックコメントなどの反応と、要望受け入れなどの実績があれば教えて下さい。

五十嵐市長 2019年度のパブリックコメントの実施状況は、2020年1月15日現在、22件を実施している。このうち意見の取りまとめが修了した6件からは、4件のご意見をいただいている。各種施策に対し、ご意見をいただくことは、市民参加条例の目的である「伊勢崎市がゆたかで活力のあるまちとして発展する」ことに寄与していると考えている。今後も広く意見を募集し、積極的に取り入れていきたい。

― 施設維持計画実施にあたり、PFI(公共施設等の建設・維持管理・運営等を民間資金や経営ノウハウを活用する事業手法)やPPP(民間資金・ノウハウを活用し、公共サービスの充実を図る事業手法)などの導入も検討にあがっています。導入の際の方針は。

五十嵐市長 施設の設置目的や性質によるが、厳しい財政状況の中では、PFIやPPP事業の活用は有効な手段と認識している。施設所管課ごとに個別施設管理計画がパブリックコメント手続き経て策定していく中で、各施設のあり方や運営方法によっては、市単独で施設整備を行う従来型手法だけではなく、民間活力導入も検討していきたい。

― 伊勢崎駅周辺整備事業の来年度の進展、市街地活性化に向けて関心が高まっている福島病院の移転跡地の活用についてお聞かせ下さい。

五十嵐市長 伊勢崎駅周辺整備事業については、今後も伊勢崎駅南口線(シンボルロード)及び足利通りの幹線道路を中心に整備を進めていく。中心市街地でもまとまった福島病院跡地については、波及効果など総合的観点から民間活力の導入も含めた手法や有効活用の検討を進めていきたい。

 企業誘致課に産業団地推進係を新設

― 宮郷工業団地が完売しました。続く工業団地として「境北部工業団地周辺区域」、「南部工業団地周辺地区」を候補地とする構想が浮上しています。

五十嵐市長 伊勢崎宮郷工業団地は、分譲開始から5年を待たず昨年10月に完売している。市内企業4社、県外企業8社の誘致で、バランスのとれた産業団地が誕生した。これにより市内の公的産業団地は在庫が底をつき、新たな産業団地造成に向けて今後、県や関係機関との調整を進めていく。また施策をより強力に推進していくため、新年度の組織改革で、企業誘致課内に産業団地推進係を新設した。(2020年3月3日)
  

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「1面ニュース記事」(いせさき新聞2004年〜2018年)の過去記事。
2004年〜11年 2012年〜13年 2014年〜17年 2018年1月〜8月
【写真】元気な姿を見せた五十嵐伊勢崎市長

5重点政策推進 子育て環境も より充実へ
五十嵐清隆 伊勢崎市長に聞く2020【1】

 伊勢崎市の市政運営政策はここ数年、「福祉・医療」「地域経済」「安全・安心」「教育・スポーツ・文化」「行財政改革」の5重点政策を掲げ、バランス良く取り組んできた。市の新年度予算案も発表され、継続・推進を強調し、中でも子育て環境の充実には優先的に取り組んでいる。大腸腫瘍治療で入院していたが、退院し公務に復帰した五十嵐清隆市長に、新年度の取り組みやその方向性を聞いた。

― 当初予定より退院が長引いたので市民も心配していると思いますが、その後体調はいかがですか。

五十嵐市長 市民の皆様には大変ご心配をおかけしたが、お蔭様で順調に回復し、2月17日から公務に
復帰している。今後も市政の発展のために努めてまいりますので、よろしくお願いたします。
 
― 5重点施策をバランスよく執行して行くために今後も「行財政改革」が求められます。2019年度に、より手応えを感じた取り組みと、来年度に向けて力を注いでいきたい取り組みは。

五十嵐市長 行財政改革で個別の例をあげると、昨年10月から導入した聖苑(いせさき、さかい)予約管理システムがある。これまで市民課、施設への電話や直接出向いての予約が、市のホームページから空き状況を確認して簡単に予約できる。今年1月から開始した前橋・高崎市との3市共同システム(次期基幹情報システム構築事業)は、住民基本台帳など事務の標準化で、業務の効率化と市民サービスの向上を図っている。新年度も引き続き5重点政策を掲げ、着実に推進することで、未来に向かって元気であり続ける伊勢崎市目指したいと考えている。

― 各種の子育て支援は昨年、第3子以降出産祝い金問題などで市民の関心を集めました。新年度の対応は。

五十嵐市長 第3子以降の出産祝金については、市民の皆様の要望が大きいことを確認出来たので新年度も継続していく。なお今後の子育て支援策については、子育てを取り巻く環境の変化や財政状況を勘案し、限りある予算の中で、より効果の望める支援策を総合的に検討していきたい。

― 公共施設の維持について継続、統廃合を決めた個別計画策定が進んでいます。一方で、施設を通して提供する公共サービスの充実など、ソフト面ではどのような取り組みを。

五十嵐市長 さまざまな施設の現状の機能を実質的に確保することを目指している。同時に社会情勢や市民ニーズの変化を見据えて、公共施設の安定的な管理運営を推進し、行政サービスの維持・向上を図っていきたい。(2020年2月22日)

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「1面ニュース記事」(いせさき新聞2004年〜2018年)の過去記事。
2004年〜11年 2012年〜13年 2014年〜17年 2018年1月〜8月
【写真】右:「森村酉三と伊勢崎」をテーマに講演する手島さん。左:華蔵寺公園内の酉三作「板垣源次郎像」は台座だけが残る

「酉三と伊勢崎」テーマに研究者が講演
鋳金工芸家「森村酉三」没後70年【4】 

 伊勢崎市(旧宮郷村大字連取)出身で鋳金工芸家の森村酉三・寿々夫妻研究者の手島仁さんが12月21日、伊勢崎市立図書館2階ホールで「森村酉三と伊勢崎」をテーマに講演した。地元名門の森村家に生まれ、東京美術学校(現東京藝術大学)在学中から帝展連続入選など、若くして才能を開花させた酉三(1897−1949)。郷里のさまざまな名士の支援とともに、その芸術活動をさらに高めたのが才色兼備の寿々(1903−2001)との結婚だったと、酉三の充実した芸術家生活を紹介した。

 とはいえ、年長の作家が戦後も活動を続けて評価を高めてきたのに対し、酉三は戦後の円熟・完成期を迎えることなく52歳で病死。一方、酉三と死別後、後年は女性鋳金家として白寿を全うした寿々は、52歳で芸術家仲間の洋画家、田中佐一郎と再婚(田中も再婚でこの時55歳)している。手島さんは亡くなる2年前に寿々と面談し、森村夫妻の貴重なエピソードも紹介した。

 酉三は前橋中学(前橋高校)から沼田中学(沼田高校)を経て東京美術学校へ。1972年に新設された帝展の工芸部門に入選すると、以後当選を重ねた。酉三の将来を高く評価し、支援したのが伊勢崎の織物原料糸商の佐藤藤三郎だった。鋳金家としての初仕事が、同商店の新築洋風店舗の噴水装置の置物と外壁2階窓上のブロンズ製草花置物。彫刻家としての初仕事も地元だった。大正期の教育者の板垣源次郎胸像は、胸像部分は戦時下に供出され、台座のみが華蔵寺公園に残っている。

              自由恋愛の代償は森村家の勘当

 寿々は佐波郡伊勢崎町(伊勢崎市三光町)の料亭「藤本」の一人娘。伊勢崎実科高等女学校時代は同級生の兄で、後に作曲家となる町田歌聲に憧れていた、と手島さんは明かす。卒業後に酉三と出会い、酉三27歳、寿々21歳の時に結婚。寿々は大間々町(みどり市)の貴船神社の初デートを初々しく語ったという。一方、自由恋愛の代償で森村家から勘当され、東京・池袋での新婚生活は困窮を極めた。この2年間の苦労が「森村を大人にし、2人を強く結びつけた」と寿々は回想している。

 この時も励まし続けてくれたのも佐藤藤三郎。寿々の親族を中心に行った伊勢崎の「白水楼」の祝宴には仲人を務め、後の後援会の組織づくりにも尽力した。佐藤は森村家とも親しかったことから同家を根気よく説得。帝展などの入選も重なったことで勘当が解かれ、森村家の支援で池袋の丸山町に住居とアトリエ、鋳金工場を新築。酉三の本格的な創作活動が始まった。

            
 手島さんは以後の2人の生活を「高踏的」と表現する。酉三の余暇は、夏の北アルプス登山、冬の妙高高原へのスキー、秋は手塩に掛けた菊の鑑賞と多趣味。登山もスキーも用具は舶来の一流品を使ったという。寿々は周囲から「モガ(モダンガール)」と呼ばれ、合宿中の陸上競技選手の人見絹枝と出会い、親しくなったエピソードも紹介。昭和モダニズムの先端を生きた作家夫婦像も明かした。(2019年12月29日)

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「1面ニュース記事」(いせさき新聞2004年〜2018年)の過去記事。
2004年〜11年 2012年〜13年 2014年〜17年 2018年1月〜8月
【写真】演奏中の森村恭一郎さん(後方中央)を中心としたジャズグループ

森村家縁者のサックス奏者がジャズコンサート
鋳金工芸家「森村酉三」没後70年【3】 


 群馬県立近代美術館の没後70年「森村酉三とその時代」企画展(9月21日〜11月10日)に併せて10月26日、同美術館エントランスホールでミュージックコンサートが開かれた。伊勢崎市出身の鋳金工芸家、酉三の縁者でサックス奏者の森村恭一郎さんを中心としたジャズグループが、酉三への思いを込めて関連楽曲を演奏。酉三が東京・池袋在住時代の隣人だったという、江戸川乱歩の明智小五郎シリーズに登場する「少年探偵団」なども披露した。主催は同美術館友の会。

 恭一郎さんは軽妙なMCを交え、ジャズやラテンナンバー、歌謡曲やアニメソングを披露した。「酉」から「鳥」を関連付け、オープニングで「鳥の歌」を恭一郎さんがサクソフォンソロ。「バイバイ ブラックバード」をクインテッドで演奏した。「インザムード」は、恭一郎さんが指導する若手2人とサックストリオを組んだ。「コーヒールンバ」などはフラメンコダンサーも加わり、エントランスホールの臨時ステージを華やかに飾った。少年探偵団は30年以上前の音楽雑誌からの楽譜を初見で演奏した。

 森村家は350年以上続く伊勢崎市の旧家で、酉三と恭一郎さんの父の梓さんは従兄弟にあたる。酉三は16代当主の連太の三男として生まれ、東京美術学校(現東京芸術大学)鋳造科を卒業後、池袋にアトリエを構える。隣同士の関係で親しくしていたのが、推理小説の巨匠、江戸川乱歩。少年探偵団の挿絵には、酉三が原型制作した高崎観音が掲載されるなど、2人の親密な交流が伺える。恭一郎さんは観音像の足元の案内板を見た際の「西という字に一本横線が入った酉の字」の印象を懐かしんだ。

 恭一郎さんは伊勢崎東高校、国立音楽大学卒業後、群馬県立高校の音楽教員。音大在学中にロックバンドやクインテッドに参加し、新宿のピットインなど都内ジャズ喫茶を中心に演奏した。テレビ、ラジオにも出演し、全国ツアーをこなすなかで、著名ミュージシャンとも共演。教員退職後も演奏活動とサクソフォン指導を続けている。(2019年10月30日)

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「1面ニュース記事」(いせさき新聞2004年〜2018年)の過去記事。
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