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 【写真】上:伊勢崎商工会議所新年互礼会で挨拶する古賀会頭。下:伊勢崎商工会議所会館(後方は改修中の伊勢崎市文化会館)

「候補地に制約。もう少し待って」新会議所会館移転建設
伊勢崎商工会議所の新年互礼会で古賀会頭が見通し

 伊勢崎商工会議所の古賀友二会頭は1月15日開催の新年互礼会で、老朽化した会議所会館移転建て替え候補地の見通しについて語った。当初は昨年中にも公表予定だったが「候補地にさまざまな制約があることがわかり、もう少し待って欲しい。出来るだけ早く決めたい」と理解を求めた。

 伊勢崎市昭和町の現会議所会館(敷地1万5876平方メートル、鉄筋コンクリート造3階建て延べ1842平方メートル)は1970年の建設。老朽化で移転新築などを検討する特別委員会を設置し、建設候補地などを検討していた。

 移転案は09年頃、本町の西友伊勢崎店閉店が浮上したことから、同建物取得後の改装案などを検討した経緯がある。建物解体後の新築案も含めて、特別委員会でさまざまな角度から協議を重ねている。中心市街地の空洞化回避の意義もあり、一時は移転の方向に傾いたが、最終的には決断に至らなかった。

 古賀会頭は新年会の挨拶で、新会議所会館の他、日本商工会議所の全国展開プロジェクトに採択された外国人との多文化共生推進事業や進出企業との交流促進を掲げた。(2019年1月19日)
 【写真】上:伊勢崎市図書館で18年12月22日開催の郷土文化講座「是我―石川泰三伝―」下:伊勢崎市役所前に建つ石川泰三元伊勢崎町長の胸像

繁栄伊勢崎の基礎を築いた第4代伊勢崎町長
没後75年の命日に石川泰三を知る功績辿る講演会

 大正4年(1915年)から伊勢崎町長を18年間務め、進歩的な町政運営で、繁栄する現在の伊勢崎市の基礎を築いた石川泰三(1853−1943)の功績を辿る講演会が、没後75年命日の12月22日、伊勢崎市図書館で開かれた。泰三の調査を長年続けている三巻健一講師が解説した。

 泰三は江戸末期から明治維新を経た、目まぐるしい時代の変化の中で頭角を現した。町議員、吾妻など3郡長を経て62歳で第4代伊勢崎町長に就任。任期中にモダンな町役場庁舎、六間道路を中心とする交通網整備、伊女・伊商・佐波農高校、図書館を創設するなど都市基盤を整えた。

 当時画期的だったのは、町政策の周知と町民の意見に耳を傾けるための「町報」の発刊。町職員には「庁憲」を配布し、随時開催の「自治講話会」で町民と役場職員の行政課題の共有化を図った。自治講演では、冠婚葬祭や宴会など、日常の生活改善を説いている。

 三巻講師は郡長時代、両毛線開通時に鉄道省が「いせざき」とした読みを「いせさき」に改めさせたエピソードも紹介した。趣味で書画、陶磁器、仏壇・仏具、日本画を蒐集。伊勢崎市境島村出身で、江戸後期の画家、金井烏洲会会長も務めた。

 三巻氏の講演終了後、侍気質の厳格さを残した祖父について、養子に入った孫の石川昭三さんが「直接話した記憶がない」としながらも思い出を語った。来訪者には大好きだったカレー(子供は肉なし)をよく振る舞ったこと、贈呈高級菓子は口に出来なかったことにもふれた。

 子供心に感じたのは「味がわからない子供が食べたのでは贈呈者に失礼、と思っていたのでは」。一方で年配参加者の一人が、質疑応答の中で父から聞いた話として「駄賃やお菓子をもらった」と子供にも優しい一面があったことを紹介した。

 石川昭三さんは祖父泰三の志を引き継ぎ、伊勢崎市の発展にと美術品をはじめとして、残っている蔵や住宅も自身の死後に市への寄贈を表明。既にこうした意向を受けた市が、篤志による寄付金で子供たちの教育事業にあてる「石川泰三教育みらい基金」を2017年2月に設置している。

 質疑応答の中で「今後寄贈を受けることになる住宅や蔵を活用した記念館のような構想」について問う声があがった。講座に参加していた市担当者が「遺族の意向に沿って検討したい」と答えた。(2018年12月28日)
【写真】伊勢崎市民プラザで開かれた終活セミナー「介護保険の準備講座」

「元気なうちこそ介護の準備を」ケアマネージャー細井講師
終活セミナー「介護保険の準備講座」開催


 伊勢崎市民プラザで12月10日、「介護保険の準備講座」をテーマに終活セミナーが開かれた。ケアマネージャーの細井靖子さんが、ヘルパー職時代の現場の実例を交え、わかりやすく公的介護保険について解説した。

 セミナーでは保険給付の対象となるさまざまなサービスを紹介。掃除や洗濯などの生活援助、入浴・更衣・トイレ介助などの身体介護を挙げ、家族など利用者以外は対象にならないことを指摘した。

 ヘルパー職としての勤務経験のある細井さんが、当時はサービスできなかったという爪切り、体温・血圧測定、耳垢除去。現在は原則として医療行為でないものは、身体介護として利用できることにもふれた。

 介護が必要になった場合、それが何年続くかわからない。その際は自宅か施設、あるいはグループホームなどの選択枝があるが、「どのように暮らしたいか」を元気なうちに考え、費用のメドや介護情報を収集するなどの準備の必要性を強調した。

 細井さんはケアプランねこのて管理者で、「介護離職しない訪問サービス活用術」、「失敗しない施設選び」、「選んでほしいデイサービス」などを《教えるケアマネシリーズ》として、アマゾンから電子書籍出版している。

 終活セミナーを主催したのは、全国シニアライフサポート協会の群馬県伊勢崎市支部の葬儀社(伊勢崎市寿町)。同社は同セミナーを毎月定期開催しており、次回も伊勢崎市民プラザで2019年1月26日、「お布施と戒名」をテーマに開催する。参加は無料。問い合わせは同社(電話0270-40-6863)へ。(2018年12月10日)
(上:左から青木さん、高橋さん、小澤さん/撮影は伊勢崎市内飲食店 下:南牧村にオープンした「星尾温泉 木の葉石の湯」ヒノキの浴室)

第2の人生にボランティアで伊勢崎市民が3人も
南牧村の活性化に住民や村外者が秘湯復活に参集


 群馬県南牧村の最西北部、長野県境の星尾地区に、68年ぶりに復活した秘湯「星尾温泉 木の葉石の湯」。巨岩の上に建つ古民家を住民や村外者有志が手作りで改装し、日帰り温泉として9月に開業した。地元食材を使ったレストランや休憩所も併設している。

 温泉復活の目的は、誘客による内外の交流促進と若者の雇用創出だ。昨年4月発足の復活プロジェクトメンバーは、伊勢崎市民3人を含む15人。地区内で古民家民宿を営む代表の米田優さん(71歳)と道子さん(73歳)は夫婦参加。2人は村の豊かな自然に魅了され、12年前に千葉県から移住してきた。

 同様に6年前に移住したメンバーが、温泉施設代表で太田市出身の小保方務さん(42歳)。長野県出身で事務局の松林建さん(51歳)は、昨年10月に都内から移住している。他メンバーは都内、千葉、埼玉から月1回ペースの集まりに駆けつけ、またそれぞれ都合のつく日程で、古民家改装にボランティア参加してきた。
   
 伊勢崎市内から参加したのは、旧NTT勤務の高橋雅洋さん(69歳、田中島町)、公務員だった青木孝彰さん(68歳、山王町)、県内スーパーに勤務していた小澤耕一さん(67歳、戸谷塚町)。青木さんと小澤さんは、小中高の同級生。その青木さんと高橋さんは、伊勢崎市内の公園整備などのボランティア活動で知り合った。

南牧村の自然と風景に感動 秘湯復活のロマンに魅せられる

 高橋さんが4年前、知人の誘いで南牧村を訪れ、その自然や風景に感動。切干いもの加工施設建設などの村興しを手伝う中、温泉プロジェクトにも誘われた。秘湯を復活するというロマンに魅せられ、青木さんと小澤さんに声を掛けたのが、参加のきっかけだ。

 作業は借りた古民家の一部解体から始まった。高橋さんは技術者だったキャリアを活かして改装時の電気工事を中心に担当。手伝いは月に4日から5日で、泊まりが多かったという。現役時代はデスクワークだけだった(高橋さん談)という小澤さんと青木さんは、片付けや清掃などの雑用、一輪車で土砂運搬など力仕事もこなした。

 古民家は床を張替え、レストランや休憩所に改装した。ヒノキ風呂の男女浴室は、基礎コンクリートを打設した庭に建屋を整備した。ボイラー調達資金はインターネットのクラウドファンディングで確保。施設から約180mの距離にある源泉は、新たに給湯管を敷設し引湯している。

 メンバーの多くはそれぞれ第二の人生をどう生きるかを模索する中でプロジェクトに参加。作業は先が見通せない時期もあったが、代表が鼓舞する本気度で団結力が高まり、暗礁を乗り切ることが出来たという。

 高橋さんは「同世代が力を合わせ、語り合う中で、今までにない充実感を得た。地域で若者が生活できるような環境づくりに取り組む中で、これからも多くのことを村から学びたい」と今後の施設管理・運営も見据える。

 源泉の「塩水鉱泉」は昭和25年(1950年)まで、集落の公衆浴場に使われていた。源泉は15度程度で、加熱して掛け流しで利用している。透明だが鉄分を含み、空気にふれると茶色に変色する。温泉成分のカルシウムで石に張り付いた木の葉を凝固させることから「木の葉石」と地元では伝えられていた。

 温泉は米田代表が経営する体験型古民家民宿「かじか倶楽部」(南牧村星尾1235-1)のすぐ近く。営業は午前11時〜午後6時(受付は午後5時半)までで、月曜定休。入湯料は中学生以上1000円、4歳〜小学生500円。問い合わせは米田代表(電話090−1558−2899)へ。(2018年11月1日)
【写真】グンビルが開発した、床ワックス剥離廃液などの廃棄物処理システム

有害な洗浄剥離廃液を開発処理システムでリサイクル
グンビルがシステムの特約店募り、全国普及へ

業界関係者と関係任意団体を先行設立

 床ワックスの洗浄剥離作業で発生する廃液。環境省が今年から、産業廃棄物として適正処理するよう基準を厳格化したが、不適正処理事例がこれまで少なくなかった。施設清掃、空調・厨房設備洗浄を手掛けるグンビル(伊勢崎市ひろせ町 高野こずえ社長)は、開発した処理システムで、同廃液をリサイクルする環境保全に取り組んでいる。

 同社は2009年、業界関係者と「剥離廃液を適正に処理する会」(高野健代表=グンビル会長)を先行設立。今後は同会をベースにシステム設備設置の特約店を募り、全国で同業者が適正処理できるようシステムの普及を目指す。

 装置は廃液内のポリマー除去、残渣取り出し、基準値まで浄化の3段階で処理する。河川放流基準値内の水と発電用ペレット原料となるポリマーなどに処理。一連のシステムで6特許を取得している。

 処理システムを設けた工場、ライブステーション(伊勢崎市粕川町)で、日量1・5トンの処理が可能。廃液を処理する産業廃棄物処分業許可を取得し、自社作業の廃液だけでなく、同業者からの廃液処理も受託している。

 今までの廃液処理は焼却がほとんどだった。焼却に比べて処理システム利用では、CO2削減効果は60パーセントという。

 廃液処理システムは、廃液の有害性が高まる中で、開発に乗り出した。省スペース化、処理時間短縮、コスト抑制などの改良で普及にメドをつけた。エアコン・カーペット洗浄廃液処理も可能。

 環境省は2月、グリーン購入法に基づく「環境物品等の調達の推進に関する基本方針」見直し案の意見広告で、対応方針を公表。それによると「剥離後の原液は産業廃棄物として処理されることが望ましく、その場合はマニュフェスト管理(産業廃棄物の運搬・処分状態を明らかにする仕組み)を実施」と明記している。

 問題意識を共有する、ビルメンテナンス関係5社で設立した「剥離廃液を〜会」はこれまで、行政機関の指導を仰ぎ、適正処理のあり方を検討してきた。この間、群馬県内を中心に全国から会員が集まり20社に拡大。「建築物の清掃から排出される廃棄物の適正処理手引書」などをまとめている。(2018年9月29日)
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