【ピープル】伊勢崎市内外の各分野で活躍する、市民を紹介します。各種団体のトップに、業界の現状と今後を聞き、まちづくりに取り組む市民も取り上げます。情報はinfo@press-isesaki.com
 「枠組みを崩して新たな挑戦を」と会長としての意気込みを語る。その一例が2回目の「WARK WARK☆フェス2023」(11月17日〜18日開催/アイオーしんきん伊勢崎アリーナと周辺施設会場)。市内商工・農業者、飲食店が企業PRや製品紹介の他、グルメエリア、特設ステージでは歌謡ショーなども開く。初の試みとなるJA主催の農業祭り、物販、試食・飲食、eスポーツ大会など盛りたくさんの企画で”体験型”をアピールする。

 もともと群れることが好きではなかったが「尊敬する同業の先輩の誘い」を機に入会。数年後には親団体の日本商工会議所青年部のビジネス対応・広報・ビジョン・企画委員として断続的に4年間出向し、全国各地を訪れた。この間、地元青年部でも多くの先輩にかわいがられ、出向先でも全国の青年経営者との交流で多くの刺激を受けた。「人との繋がりが財産」と言わしめ、「その恩返しに」と青年部活動の現在の拠り所を淡々と語る。

 ここ数年の青年部の精力的な活動で誘致した、2026年2月開催の青年部全国大会。20年の企画委員出向時の地ならしから関わり、当該年度の開催大会実行委員長(予定)の重責も担うことになっている。本人の自覚はなかったが、出向を推してもらった先輩に「その心ずもりだった」と後から聞かされる。誘致のためのプレゼンテーションでアピールした「オール群馬」体制。今年度は伊勢崎青年部会長として、県内の他青年部との調整に腐心している。

 全国大会開催に向けて、膨大で前例のない会員情報の全国発信にも工夫を凝らす。伊勢崎の情報ポータルサイト「アイマップ」連載中のインタビュー記事「経営者の輪」。青年部OBで運営していることもあり、同枠で全国大会までに会員238人(10月27日現在)全員掲載の企画を提案した。目下、次々と入会する新会員も含めた、未掲載会員の取材と掲載を同編集部で急いでいる。

 17年に青年部会員仲間と共同で始めた不動産投資会社「上州家守舎」(本社:連取町)は、リノベーション建物をシェアオフィスなどとして再活用している。ドローンの離発着や操縦訓練、ライセンス取得スクールとして20年に開設したのが「群馬ドローンステーション」(本社:大手町)。いずれも全国青年部出向時の人脈と刺激を事業化に繋げた。一方、「ぐんぱつ管理」本業の賃貸管理や物件仲介では「地元に根付いた」地道な経営を標榜する。

 市主催のまちなかシンポジュウムにパネラーとして参加するなど仕事柄、街づくりにも一家言持っている。行政には「挑戦する姿勢が欲しい」と注文する。とりたてて熱く語るわけでもなく「のらりくらり」的な雰囲気が妙になじみ、説得力を持つ。コロナ前には子供(中2、小5の男子)との美術館巡りが楽しみのひとつだった。同様の子供時代を送った「母の影響」と回想する。気になる美術館の企画展は関東一円なら躊躇なく足を運ぶ。(廣瀬昭夫)
 より良い地域社会づくりのために、ボランティア活動や社会的課題に取り組む青年会議所(JC)。会員は会社経営者やその後継者が多い中、「神職は珍しいのでは」と質問。「県内には前橋と沼田にも会員神主がいます」とさらりと返し、とりたてて特別のこととは考えていない。「神社には地域で人と人を繋ぐ使命があり、JC活動がおおいに役に立っている」と活動の共通性を指摘する。

 演劇に興味を抱いていた高校2年生の2003年、JCの卒業生だった父にも勧められて参加した伊勢崎JCの40周年記念ミュージカル「パーフェクト・ファミリー!?」。本番までの3か月間、人と地域の凝縮された熱い思いに満たされた。26歳の入会前から活動の何らたるかに触れ、「修練」「奉仕」「友情」のJC3信条が、他のどの会員よりも自らに浸み込んでいると自負している。

 今年度取り組む事業の基本理念は「リーダーシップを発揮し、自ら考え行動できる魅力ある人材の育成」だ。不確実な未来を、雄々しく生き抜く力を育む。9月9日開催の創立60周年記念講演会「10年後、君に仕事はあるのか/未来を拓く『情報編集人』の育て方、磨き方」(藤原和博「朝礼だけの学校」校長)はその中心事業。子供たちの肯定感を高めようと4月に実施した、子供たちの絵をラッピングした市コミュニティバス運行もその一環だ。

 2015年に担当した青少年育成事業。市内中学生が市議会議員役で、まちの課題に取り組んだ。「大きくなったらJC入に会し、まちの発展の役に立ちたい」と、一人の中学生が顔をほころばせながら語った笑顔が忘れられない。巡り合った60周年の節目については「これまでの地域活動の積み重ね、その信頼の上に、我々の現在の恵まれた環境がある」と諸先輩に感謝する。

 ちょっとした工夫、アイデアや事業手法で地域の活性化を試みている。伊勢崎銘仙を内外に発信しようと話題を集めた,用紙に銘仙柄を採用した御朱印。JC仲間に教えてもらったクラウドファンディングを活用した。銘仙生地を使ったお守り袋は、同じ柄でも異なった裁断箇所による"自分だけのお守り"が売り。昨夏に頒布を始めた神玉は、県内七社を巡って集める「上州神社巡拝」とフィールドを広げている。

 神職はオンとオフをつけにくいこともあり常に忙しい。JC理事長と同時期に「求められることは幸せ。こちらも全力で取り組む」と、群馬県の神職青年会会長も引き受けている。気が抜けない日々の中で、ホッとできるのが子供たちと遊ぶ時間。二人の子どもには「一人の人間として敬意をもって接し、一緒にいる時は全力で向き合う」。ゲームで遊ぶ時も決して手を抜かず、わざと負けることは一切ない。(廣瀬昭夫)
 キングレコードから5年前にCDデビューした。介護の仕事の傍ら、歌手活動を続けている。学生時代、結婚後もしばらくは、そうした環境とは無縁の生活だった。アカペラのコーラスグループにほんの少し在籍したことはあるが、子育てやパート勤務の忙しさにかまけ、ほどなく足が遠のいていた。50歳を過ぎてから、突き動かされるようにこの道に入った。

 友人に刺激を受けて2016年、初めて出場した群馬テレビ放映の第30回群馬県歌謡大賞。2回の予選にブロックごとに勝ち上がり決勝に残ったが、賞に絡むことはなかった。「大会出場や賞の獲得が目的ではなかったが、無性に悔しかった」。「自分の良いところを引き出してくれる、しっかりした指導を受けてさえいれば」と、この時初めて師とのめぐり逢いを求めた。

 それがきっかけで出会ったのが、作曲家でピアニスト、歌唱指導もしている、さかたひとしさんだ。さかたさんの作詞作曲によるCDデビューは、指導1年後に訪れた。最初は猛反対する両親や夫への説得に追われた。制作費などの不足分は自身の借金でメドをつけた。「一生の夢が叶った、もう次はない」と思い込んでいた矢先の6月30日、2枚目CDをリリースする。協力者だった夫は他界し、今回は一人娘にも直前まで打ち明けなかった。

 その楽曲のひとつが、バスの車窓や車内から乗降客を見つめ、物思いにふけり「降りる先にはみんなが待っている」と締めくくる『バスを降りるまで』(作詞・作曲さかたひとし)。「一区切りの終点の先に新たな人生が見えてくるような、そんな心境」に自身を重ねた。さかたさんが数年前に誰のためでもなく作った曲だったが、「これは私の歌だ。私が歌いたい」と、後先考えずに頼み込んでいた。

 伊勢崎市境町の赤レンガ倉庫や中澤カフェ(同)などで「地道にコツコツ」歌手活動を続けている。「ストレス発散」は仕事帰りの一人カラオケ。「時の流れに身を任せ」など、テレサ・テンの曲が気に入っている。目標とする歌手は「考えたこともない」が、強いて挙げれば「美空ひばりさんかな」と、首を竦めて遠慮がちに答えた。(廣瀬昭夫)
 
 伊勢崎の地域経済を支えているのは、農商工業のバランスの取れた産業構造といわれている。その中でも製造業と建設業のウエートが高く「この2本柱がしっかりしていれば」と基幹産業の重要性を説く。コロナで疲弊した飲食店と関連大型施設を憂慮し、さまざまな業界の影響にもふれた。空き家、農地と開発、駅周辺整備など、地域の経済状況についても、金融マンとして培った的確な見通しを語る。「企業を育て、地域を伸ばす」商工会議所として、国や地方行政との連携強化の必要性も改めて訴えた。
 
 「会議所対象事業所が5345社に対して入会は2125社。加入率は39・8%」。決して満足はしていない、現状の数字がすんなり口をついて出る。「43人は寂しい」と女性部会は対象を広げて加入を促す。全体として会員増強は「『一人ぐらいは何とか』と思えるように会員の意識を高めたい」。期待をかけているのは会員数238人で、県内最大規模を誇る青年部だ。「紹介者は委員会でも一緒に活動し、面倒みながら新会員の居場所をつくって欲しい」と注文する。
 
 建設地をどこにするかで長年の懸案となっている、老朽化した未耐震の会議所会館建て替え事業。市が取り組む、伊勢崎織物協同組合の所有地を活用した「中心街にぎわい創出拠点の検討委員会」などの動向も視野に「会員、行政や関係者など周囲の声に耳を傾け、地域の活性化にも貢献する事業に」と慎重に語る。現地建て替え案も選択肢のひとつだが、いずれにしても現会館は解体する方向。解体費の確認は急ぎたいという。

 金融業界は取引のオンライン化、デジタルサービス移行が進んでいるが、あかぎ信組の大手行にない強みとして「地元から離れない」地域密着、対面営業を強調する。経営者の高齢化・後継者難の「事業継続」に、大手と提携してM&A(企業買収・合併)を模索、提案している。組合員組織の異業種交流会「あかぎクラブ」内の若手組織「健山会」(会員680人)は創設時から関わり、会議所青年部と同様に大きな期待をかけている。

 農家の長男で農業高校に進学したが、地域は区画整理事業などで農業政策の転換時期に重なった。健康管理も兼ねて休日は、560平方mの畑で時にはトラクターも駆り、数種類の野菜作りを楽しんでいる。中学・高校時代は野球部に所属。硬式から軟式に戻った社会人で肩を痛めてグランドから足が遠ざかった。中・高時代の投打の定位置の質問に「ピッチャーで4番」に続けて、さりげなく「キャプテン」を加えた。(廣瀬昭夫)
 アイオーしんきん伊勢崎アリーナ(市民体育館)2階のブース展示によるビジネスマッチング。南側のグランドではグルメとステージイベントを同時開催の「ワクワクフェス」を11月19日に開いた。講演ゲストは、その3日後に”31歳差婚”を発表して話題になった極楽とんぼの山本圭一さん(相手は元AKB48の西野末姫さん)。初の大型イベントは目標を上回る1万1500人を集めた。

 青年部恒例事業の「観光大使ミスひまわり」。応募資格が性別、国籍にとらわれない「観光特使ひまわり」への大転換は、内外で注目を集めた。副会長時代に提案し、仲間と準備を進め、会長を任される今年度スタート実施に焦点を合わせてきた。多様性の時代に加えて人口減少の中、応募者の減少も背景にある。「ひまわりの事業継続を考えた。ビジネスの考え方と同じ」と当然の取り組みと捉える。

 2025年度に日本商工会議所青年部全国大会が伊勢崎で開かれる。ここ数年の歴代会長は対外交渉など準備に追われた。今年の10月には、その同青年部役員全国大会が伊勢崎で開かれ、500人が参集した。「恒例事業は出来て当たり前」と、こうした節目や新たな事業実施に会長として携われたことを素直に喜んだ。変化や改革の時にこそ、自分ならやり遂げることを確信し、果敢に挑んできた。

 今年度のスローガンは「〜目的に向かってひたすら前進〜『勇往邁進』」を掲げた。とはいえ青年部活動は「事業そのものが目的ではない。事業で社会や地域に貢献すると同時に、会員一人々々の成長にある」。バトンリレーで繋いだ各世代の会長らの手弁当による「使命感と誇り」が底辺にあることも強調。「この頑張りを周囲や市民の皆さんに、もう少し知って欲しい」という思いも訴える。

 「塗って、塗って、塗りまくった」と豪語する、塗装職人時代。塗料は国内唯一の対候性試験機関、日本ウエザリングテストセンターの沖縄県宮古島の暴露試験場でテスト。塗装会社として技術と商品には絶対の自信を持っている。さらなる差別化が社員の人間力。「だから圧倒的に選ばれている」と胸を張る。何のために働くのかに答える経営理念に「幸せの追求」、グランドデザインに青年部スローガンと同じ「勇往邁進」を掲げている。

 会社は伊勢崎市内の本店の他、リフォームスタジオ、埼玉県熊谷市と上尾市内の4店舗体制で年商7億円の規模。10年前に下請けから一般住宅などの直接受注への「ビジネスモデルの転換」が飛躍の始まり。母子家庭で育ったハングリー精神も根底にある。様々な指導者の塾生などとして「35歳から40歳までは猛烈に勉強した」。このためゴルフやスノボ、バイクなど本格的な遊びはここ数年のこと。幸せを追求してもらう「社員の手前もある」と苦笑いする。(廣瀬昭夫)

第33代田沼健太郎会長  第32代畑裕樹会長  第31代菊池潤一会長
 「明るい豊かな社会の実現」を目指して様々な活動に取り組む青年経済団体、公益社団法人日本青年会議所(JC、中島土会頭)。来年1年間の次期会頭就任で最近、麻生太郎自民党副総裁長男、麻生商事の麻生将豊社長(福岡県飯塚市の飯塚青年会議所顧問/前理事長)が注目を集めた。といっても単会JCの普段の取り組みは、地域の地道な社会活動が中心だ。
    
 伊勢崎JCの今年度対外事業活動は、3月開催の外国籍住民との共生意識を高める協働ランタンづくり(ランタンリバー 華蔵寺公園)、6月の親子の絆を深める謎解き宝探しゲーム(華蔵寺公園)、7月の尾瀬子供キャンプファイヤーなどを実施した。コロナ禍だったが、十分な感染対策を施して現地開催にこだわった。市民参加によるチーム対抗の 3on3バスケ(10月15日、第2市民体育館)とフットサル(同月16日 市陸上競技場)は今年度を締めくくる最後の事業となる。

 3年ぶりのいせさきまつりは初参加の新入会員もおり、知っているはずの現役メンバーも含め、設営準備は少しとまどったという。2年間はコロナ禍で本格的な活動が制限されていたため「この間に入会したメンバーには本格的な活動の第一歩にも」と安堵する。12人(10月3日現在)の新入会員のほとんどは20代。2世経営者が少なくない組織の中で、その半数以上が起業・ベンチャー型と、会員の若返りと多様化が進む。

 来年度に創立60周年を迎える。8月例会では40周年時の先輩を招き、歴史や記念ミュージカルなどの事業などについて学び、来年に備えた。毎年卒業生を送り出す連綿と続く歴史を振り返り「コロナ禍にあってもJCだからこそできる取り組みを」模索し、JC活動に全精力を傾けてきた。だから卒業後は「会社100パーセントに切り替える」と決めている。

 その事業は創業が1923年(大正12年)の印刷業では市内大手老舗。とはいえ取り巻く環境は激変しており、広告代理業や印刷後加工分野に軸足を移す"脱印刷"に大きく舵を切りつつある。この間、コロナ禍で受注が激減するなかで「JC仲間や先輩シニアから多くの声をかけてもらった」と感謝する。事業転換は「JCに在籍していればこそ」と、組織で学んだ上での大きな決断を振り返る。

 「オンオフはきっちり分けている」ので、ゴルフや思い立ってふらっと出かけるドライブなどで気分転換を図っている。高校、大学時代はサイドスローの投手だった。大学3年時、6連敗で入れ替え戦が視野に入る首都リーグの筑波大戦。投手としてはチーム2番手だったが、先発起用でマウンドに立ち完投した。それが思い出に残る数少ない勝利のひとつ。両親が神奈川県の平塚球場まで群馬から応援に駆けつけてくれた。ウイニングボールは感謝を込めて母に手渡した。(廣瀬昭夫)
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