生涯で5千に及ぶ曲を作曲したとされる古関裕而の像(出身地の福島駅前)

色あせることのない日本の夏の風物詩 古関裕而「栄冠は君に輝く」
地元プロが翻訳  NYTアジア太平洋欄記事(2023年8月4日付)

 米国の高級紙、ニューヨークタイムズ。その社説から、日本人にとって関心が深いと思われるテーマ、米国からみた緊張高まる国際情勢の捉え方など、わかりやすい翻訳でお届けしています(電子版掲載から本サイト掲載までの時間経過あり)。伊勢崎市在住の翻訳家、星大吾さんの協力を得ました。
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 75年前、高校野球のために作られた古関裕而の「栄冠は君に輝く」は、思い出を呼び覚まし、新たな感動を与えている。 ブラッド・レフトン

 トロント・ブルージェイズの先発投手として活躍する菊池雄星は、実はカラオケ名人でもあり、十八番はかつて所属していた西武ライオンズの応援歌だ。先発登板の合間のオフの日に、彼は「栄冠は君に輝く」の歌詞を知っているかどうか尋ねられたが、どうやらこれは愚問だったようだ。

 ミネソタのビジター側ダッグアウトにユニフォーム姿で立った彼は、満面の笑みを浮かべ、日本語で歌った。

 春にとっての桜がそうであるように、「栄冠は君に輝く」は日本の夏の風物詩である。1948年に古関裕而はこの曲を全国高校野球選手権大会のために作曲した。そして今度の日曜日、過去75年間と同じように、49都道府県の優勝校の選手たちが西宮の甲子園球場に入場し、膝を高く上げ古関の歌に合わせて行進する。

 「夏の風物詩です」と菊池は言った。「そう、まさに、夏の野球の代表曲。幸運にも甲子園球場で全国大会に進出できた球児のためだけでなく、全国大会進出を目指す県予選の間中も流れ、最高のプレーをするための闘志を高めています」

 菊池は2年生と3年生の時に甲子園球場で行進した。ミネソタ・ツインズの先発投手、前田健太は2年生で行進している。

 「頭に残る曲です」と前田は言う。「この曲を聞くと、日本人なら誰もが夏の甲子園を思い浮かべると思います。僕にとっては、高校時代を思い出すし、あの夏の大会に出場したことを思い出します」

 小関は1909年、東京から300km北にある小さな町、福島に生まれた。1930年、アメリカのコロムビア・レコードのライセンシーであった日本コロムビアに作曲家として入社。スポーツにはほとんど興味がなかったにもかかわらず、マーチングの要素に惹かれてチームの応援歌を手掛けた。

 おそらく彼は、自分が日本で最も人気のあるスポーツイベントに関わる仕事をすることになるとは思いもしなかっただろう。

 1915年に全国中学校優勝野球大会として創設されたこの大会は、第二次世界大戦中の4年間、中断されていたが、1946年に再開された。連合国軍の占領下、日本は多くの社会的、経済的改革を行ったが、その中でも教育制度の見直しが行われ、高等学校と呼ばれる3年制のカリキュラムが新設された。

 毎年夏の甲子園で開催されていた野球の祭典は、1948年の第30回大会から「全国高等学校野球選手権大会」に正式名称が変更された。この変更を記念して、主催者はテーマソングの全国公募を行った。そして当時38歳だった小関の曲が選ばれた。

 小関は自伝の中で、終戦からインスピレーションを得たと書いている。大会の継続は平和の継続を意味する。打球の心地よい音と若者の高揚感は、日常となっていた空襲警報のサイレンの鳴り響く緊張感に取って代わる。

 彼は高揚感のある、前向きな曲を求めていた。そのプロセスをこう説明した。

 「インスピレーションを得るために、私は誰もいない甲子園に行き、マウンドの上に立った。熾烈な戦いの中に身を置くとはどんな感じだろうと想像しているうちに、曲のメロディーが自然と頭に浮かんできた。あのマウンドに立つことが、それをつかむための唯一の方法だった」

 小関の甲子園球場への影響力は、この大会だけにとどまらない。彼は、同球場のホームチームである阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」も作曲している。

 小関は、1936年にプロリーグが結成された際にこの曲の作曲を依頼された。原題は「大阪タイガースの歌」。この行進曲は、日本プロ野球で最も長く続いている球団応援歌として愛され、黒と金のピンストライプのユニフォームと同じくらいタイガースの代名詞となっている。

 この曲は、ハリー・ケリー(米の野球実況アナウンサー)が歌った「私を野球に連れてって」のようにファンによる熱狂的な人気を得ている。ケリーが亡くなって25年経った今でも、リグレー・フィールドのファンは7回表に有名人が「私を野球に連れてって」を歌うのを待ち望んでいる。

 数多のミュージシャンや有名人が「六甲おろし」をレコーディングしているが、おそらく最も有名なのは阪神のある選手のものだろう。元メッツの内野手、トム・オマリーは阪神に4年間在籍し、毎シーズン3割を超える打率を残した。

 彼は1994年に「六甲おろし」を日本語と英語でレコーディングした。ケリーに倣い、愛すべき音痴っぷりを大衆に曝したのだ。オリジナル盤は10万枚以上を売り上げ、オマリーの日本での活躍が終わってから18年後の2014年にリマスターされたデジタル版がリリースされた。

 小関は先月、プロ・アマ両野球界への音楽的貢献が認められ、死後であるが、日本野球殿堂入りを果たした。その20年前、彼は日本のホームラン王でライバルの読売ジャイアンツでプレーした王貞治から、驚きの賛辞を受けた。2003年の日本シリーズ前、当時福岡ダイエーホークスの監督だった王は、対戦相手として再び聴かされることになるこの曲について尋ねられた。

 「六甲おろしはリズムもいいし、好感の持てる曲です」と王監督は記者団に語った。「対戦相手の応援歌でありながら、実はみんなに勇気を与えてくれる。小関さんが作曲した応援歌は、スポーツをするすべての人を元気にしてくれる」。
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 星大吾(ほしだいご):1974年生まれ、伊勢崎市中央町在住。新潟大学農学部卒業、白鳳大学法科大学院終了。2019年、翻訳家として開業。専門は契約書・学術論文。2022年、伊勢崎市の外国語児童のための日本語教室「子ども日本語教室未来塾」代表。同年、英米児童文学研究者として論文「The Borrowersにおける空間と時間 人文主義地理学的解読」(英語圏児童文学研究第67号)発表。問い合わせは:h044195@gmail.comへ。