原爆の父描いた映画『オッペンハイマー』の日本人の反応
ニューヨークタイムズ アジア太平洋欄記事(2024年4月1日付)
映画「オッペンハイマー」のパンフレット(表紙)

原爆の父描いた映画『オッペンハイマー』の日本人の反応
ニューヨークタイムズ アジア太平洋欄記事(2024年4月1日付)

【モトコ・リッチ支局長/キウコ・ノトヤ記者】 

 金曜日(3月29日)に日本で公開された、原爆の父を描いたアカデミー賞受賞の伝記映画『オッペンハイマー』を観た奥野佳子さんは、科学者たちが広島上空での爆発を雷鳴のような足踏みとアメリカ国旗を振り祝うシーンに唖然とした。
 広島で育ち、平和・環境活動家として活動してきた保育士の奥野さん(22歳)は、彼らの歓喜に満ちた顔を見て「本当にショックを受けました」と語った。
 クリストファー・ノーラン監督の映画がアメリカで興行的に大ヒットしてから8ヵ月後、『オッペンハイマー』は日本の観客に、日本の歴史上最も痛ましい出来事に対するアメリカ側からの視点を突きつけている。
 この映画は、アメリカが核時代の幕開けの一撃となる日本への投下前の、J・ロバート・オッペンハイマーと彼のチームの歴史的な発明を描いている。先月、アカデミー賞で作品賞を含む7部門を受賞した。
 土曜日に東京でこの映画を観た奥野さんは、広島や長崎の何十万人もの原爆被害者の体験が反映されていないことを嘆いた。
 「核爆弾の影響について正しく理解されないまま、この映画が世に出るのは恐ろしいことです」と彼女は言った。映画の後半でオッペンハイマーが表明する後悔については、「もし彼が本当に世界を破壊しかねない技術を生み出したと思っていたのなら、もっと何かしてほしかった 」と彼女は言った。

 この映画を公開した日本のインディーズ配給会社であるビターズ・エンドは、12月の声明で、『オッペンハイマー』を劇場公開することを決定したのは、"多くの議論と検討 "の結果であり、その理由は、「この映画が扱っている題材は、私たち日本人にとって非常に重要であり、特別な意義がある 」からだと述べている。
 この映画が日本で公開される前、ネット上の流行語 「Barbenheimer」で、『オッペンハイマー』と映画『バービー』の画像を合成させ、原爆を軽んじるかのようなアメリカのファンに、強い批判が寄せられた。
 日本では、原爆の被害を想起させるようなシーンがあるとして、警告を表示している映画館もある。
 全国343館で公開されたこの映画は、初日から3日間で3億7930万円の興行収入を記録し、2024年の外国映画としてはこれまでで最高の興行収入を記録した。
 一部のコメンテーターは、先の論争にもかかわらず、この映画が日本で上映されたことを高く評価している。日本最大の日刊紙、読売新聞の論説委員である恩田泰子氏は、「観ること、考えること、議論することを不可能にするような社会を作ってはならない」と書いた。「映画を見る目を狭めてはならない」

 被爆者を含む一部の人々は、広島や長崎のシーンを排除したことに抗議しているが、東京大学の矢口雄人教授(アメリカ研究)は、『オッペンハイマー』は、核実験に使用された土地を持つネイティブ・アメリカンなど、多くの人々を物語から排除してきたこれまでの視点を反映しているに過ぎないと述べている。
 この映画は、「特権を謳歌し、政治的権力を求める、ごく一部の白人男性科学者たちを称賛している」と矢口氏は電子メールで書いた。「私たちは、なぜこのような白人男性の一方的な物語が米国で注目され、賞賛され続けているのか、そしてこの物語が米国(そして他の地域)における現在の政治と過去の政治について何を語っているのか、もっと注目すべきである」

 週末に映画を見た観客の中には、この映画には別の物語があることを認識したと言う者もいた。
日本で2番目に大きな都市である横浜で夫と映画を見た丹野多恵さん(50)は、自らと仲間の科学者たちが産み出した壊滅的な被害を把握し始めたオッペンハイマーの憤慨に注目したという。
 「ああ、彼はこのように感じていたんだ、自責の念を抱いていたんだ、と思いました」と丹野さんは言った。
 上智大学(東京)でアメリカ政治・行政を教える前島和宏教授は、「このような道徳的良心の描写は、アメリカ人の国民感情の変化を反映しているのかもしれない」と語った。
「数十年前なら、原爆投下に関わった者が感じていた罪悪感を描いた映画は、原爆が日本本土へのリスクの高い侵略を回避し、何千人もの米兵の命を救ったという物語が当然のものとされていたアメリカでは不評だっただろう」と前島氏は言う。
 例えば1995年、ワシントンのスミソニアン博物館は、広島に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイの機体の一部を展示する展示を大幅に削減した。退役軍人の団体や一部の議員は、原爆投下に対するアメリカの正義を疑わせるような資料の一部に反対した。
 「30年前、人々は原爆投下の正義を疑っていなかった。今は、より複雑な見方になっているように感じる」

日本では、第二次世界大戦の終結から80年近くが経ち、バラク・オバマが現職のアメリカ大統領として初めて広島を訪れてから8年が経った今、観客も犠牲者に焦点を当てない映画を見ることに前向きになっているのかもしれない。
 広島出身の三好加奈さん(30)の祖母は原爆投下当時7歳で、父と兄弟を原爆で亡くしている。三好さんは、土曜日に広島で両親と映画を観た。
 他の観客と同様、三好さんも原爆投下後の祝賀シーンに衝撃を受けたが、非難すべきではないと語った。「これは現実であり、変えることはできません」。三好さんの祖母を3年前に83歳で亡くなっている。

 多くの日本人は核軍縮を支持しており、自国の核兵器を持たない日本は、いわゆる米国の「核の傘」の下に守られている。北朝鮮が核兵器を強化し、ロシアがウクライナで戦術核兵器を使用すると威嚇する中、専門家たちは、『オッペンハイマー』は、核抑止力についての議論を刺激するかもしれないと語った。米国では世界的な同盟関係への取り組みを大きく変える可能性のある選挙が近づいている。
 東アジアの安全保障を専門とするダートマス大学のジェニファー・リンド准教授は、「核兵器に対する日本の立場は、多くのものに向き合わなければならない。この映画は、『私たちの国策とは何か』を考える上で、とても魅力的な時期に公開された」と語る。

 日本の平和活動家もまた、『オッペンハイマー』が議論になると考えている。
 「普段、日本では核兵器問題は広島・長崎の話として教えられています」と、社会貢献活動を目的としたクルーズを運航する日本の非営利団体、ピースボートの実行委員を務める川崎哲氏は語る。
科学者たちが人工知能や、政府によって悪用される可能性のある破壊的な技術を開発する中、川崎氏は『オッペンハイマー』がその潜在的な危険に警告を発していると語った。
 「科学者は、あらゆる権力の前では非常に弱い。個人では、そのようなものに立ち向かえるほど強くはなれません」

【翻訳】星大吾(ほしだいご):伊勢崎市中央町在住。新潟大学農学部卒業。白鳳大学法科大学院終了。専門は契約書・学術論文。2022年、伊勢崎市の外国籍児童のための日本語教室「子ども日本語教室未来塾」代表。問い合わせは:h044195@gmail.comへ。