【写真】展示資料を解説する相川考古館の相川学芸員

伊勢崎藩主の秀でた被災対応記録を展示「相川考古館」
浅間山大噴火240年を語り継ぐ連携企画展(2022年8月15日)


 やんば天明泥流ミュージアム(長野原町)が31日まで開催中の「浅間山大噴火から240年『天明3年』を語り継ぐ」は、県内外17機関の連携企画。天明3年/1783年の浅間山大噴火から240回忌を機に、嬬恋村郷土資料館の呼びかけで始まった。同館では当時の犠牲者を慰霊した高僧・宥弁(ゆうべん)の仏像などの特別展を19日まで開催中。相川考古館(伊勢崎市三光町)は、当時の伊勢崎藩の災害対応を知る、所蔵資料企画展「‐天明浅間山大噴火‐伊勢崎藩の記録」を28日まで開いている。

 伊勢崎藩の被災対応がわかるのは、後に家老となる関重嶷(しげたか)が記した「沙降記」(新井廣胖写本 文化13年/1816年)で原本は不明。記録には泥流による甚大な被害、噴火翌日には重嶷自らが現場に赴き、被災者救助の陣頭指揮を執ったことなどが記されている。災害と飢饉で米価は高騰。各地に暴動が起こる中、当時家老だった父当義(まさよし)など藩士らの対処で藩内暴動を未然に防ぎ、この年の藩内租税も免除している。

 「慈悲太平記」(西宮新六記 力丸氏写本 天明5年/1785年)も災害対応を記し、藩主酒井駿河守の慈悲を伝えている。太平記ばりの名文だが、地名に誤謬が多いことも指摘されている。「乍恐以書付奉申上候事」(佐藤春信記 天明3年/1783年)は復旧工事や風俗取り締まりを訴える建白書。「浅間山大変実記」(大武義珍記 徳江万之輔写本 天保10年/1839年)にも伊勢崎領内の動静が一部記されている。

 展示4点資料中「『沙降記』は「関重嶷が家老になる前の準公的記録だが、他の資料と突き合わせても日にちの齟齬がなく資料的評価は高い」と相川裕保学芸員は研究者の話を紹介している。企画展初日の7月28日には朝一番で、臂泰雄伊勢崎市長が訪れている。連携企画として伊勢崎市赤堀歴史民俗資料館(伊勢崎市西久保町)が、来年6月16日から8月27日まで「伊勢崎藩を救え!浅間山天明噴火(仮)」を予定している。(2022年8月15日)